2年前の夏、6年間暮らしたパリから帰国した。本書は前後2年間のウェブ連載エッセーをまとめたもの。テロの恐怖が身近にあるパリでの生活、帰国の決断、東京で再び直面する穏やかでぬるい閉塞(へいそく)感――。
「パリは空気も人間関係も乾燥していて、地面からも焼かれるようなつらい場所でした。東京は楽しくて夢みたいな場所だけど、どこか見せかけだけ」。どこに行っても癒えない実存的不安が、二つの対照的な都市を舞台につづられる。
20歳の作家デビューから16年。結婚や出産、海外移住など実生活での変化はこれまでにも作品に反映されてきたが、自身のことをこれほどの純度で見せるのは初だろう。
〈あの時あんなに幸せだったのにと思い起こされる幸せは全て幻想だと知っている。ずっと泣きそうだった。辛かった。寂しかった。幸せだった。この乖離(かいり)の中にしか自分は存在できなかった〉
自分の心の中をのぞき込むときのその真摯(しんし)さ。小説の余滴でも身辺雑記でもなく、これは金原ひとみの小説そのものだと思えてくる。
帰国して神経に障ったのは、例えば日本人男性の高圧的な態度、くだらないテレビ番組。「でもこの日本人が絡めとられている網を理解していないと、そこまで降りていって書くことができない」。コロナ禍の中で発表した最新作「アンソーシャルディスタンス」(「新潮」6月号)では、日本を覆う「世間的な正しさ」の猛威を、コロナウイルスを写し鏡に描ききった。
エッセーの中では、夫や2人の娘、そしてたくさんの女友だちに囲まれている。だからこそ逆照射される他者とのわかり合えなさ。その空隙(くうげき)を、作家は書くことで埋めようとする。生きようとする。「書くことは、基本的に解放です」(文・板垣麻衣子)=朝日新聞2020年6月20日掲載