グレタ監督の存在が決め手に
――「ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語」は、日本では3月公開の予定でしたが、6月12日にようやく公開になりました。女性を中心に約20万人(7月7日現在)を動員するヒットとなっています。
ようやく公開されたと聞いてとても嬉しいです。日本ではアニメーションにもなりましたよね。昔から親しまれてきた作品だったのではないでしょうか。
実は私のフルネームは、エイミー・ベス・パスカルと言いますが、私がまだ母のお腹にいるときに、父が「若草物語」を読んだことがきっかけで、そこから四女エイミーと三女ベスの名前を私につけたんです。
――原作は1868年から1886年に書かれたルイーザ・メイ・オルコットの自伝的小説。150年も前に書かれ、何度も映画化されてきた「若草物語」を、今回再び映画化したのはなぜですか?
正直にいうと、監督と脚本を務めたグレタ・ガーウィグの存在だったんです。彼女は映画に対するビジョンがすごく現代的ですし、彼女と映画化するならうまくいくと思ったんです。
私は小さな頃から本が大好きで、「若草物語」も昔から親しんでいた話だったんですが、「この物語は、女性の経済的自立の話だ」とグレタ監督が言ってきたんです。
映画の最初で、「クリスマスはプレゼントがなければクリスマスじゃない。お金がないことは悲しい」という台詞があります。女性は経済的に自立しなければ、クリエイターにもアーティストにもなれなかった。そこに今に通じる大切なテーマがあったからです。
次女の視点で「経済的自立」描く
――19世紀に活躍したルイーザ・メイ・オルコットは、女性クリエーターの先駆けでした。主人公の次女ジョーはオルコットでもあると言われています。映画は小説家を目指す次女ジョーの視点で描かれていますね。
その通りです。有名な話ですが、次女のジョーは作者オルコットの分身です。オルコットはジョーのように結婚もせず、子供も産みませんでした。
その中で、ジョーのラブ・ストーリーは、強調したかった大事な要素のひとつです。彼女の周りにいた男性たちは、女性と男性の平等を認めている、正しい人たちだったということを伝えたかったんです。
――オルコットが10歳から亡くなる4日前まで書き続けた日記(『ルイーザ・メイ・オルコットの日記―もうひとつの若草物語―』)を読むと、物語とは違う点もたくさんあります。
「若草物語」で描かれた子供時代は、彼女が理想として思い描いていたものでした。実際はもっともっと貧しくて、家族の死など大変な苦労の連続でした。しかし、晩年のオルコットは本の著作権を得たことで、経済的に自立した人生を送ることができましたし、自分の家族、さらにはその子孫の家族たちの面倒も見ることができました。現代でいうと、(「ハリー・ポッター」シリーズの作者)J.K.ローリングのような人だったんですね。
「罪悪感を持っても好きなことを続ける」
――今の映画界の状況はいかがですか?
ご存知のようにアメリカも大変な状況です。みんな映画の現場に戻りたがっているんですが、この状況で撮影も自由にできないので、次の作品のアイデアを出し合ったり、現場に行かなくてもできることをやったりしています。こんなに画面に向かっているのは人生で初めてです。慣れないことが多くて大変です。
――エイミーさん自身、女性として映画界で働く先駆者でもありますが、時間も不規則な仕事で、「女性は家庭」という意識も今より強かった時代、ご苦労も多かったのではないでしょうか?
はじめは、自分の家庭に対して、何をしても罪悪感ばかりでした。でも、それが大切だと気づきました。罪悪感を持っても好きなことを続けることです。バランスを取ることはせず、とにかく好きなことを続ける。そして、自分の時間を作ること。周りが何を言おうが、自分の時間を作って考えることです。
――オルコットは数々の名言も残していますが、好きな言葉はありますか?
「野望を持つ女性にとって、人生は困難ばかりです」
――今作を通して若い人にどんなことを伝えたいですか?
自分の希望やゴールに向かって行くために、どんな困難があろうと、みんなと違うことをやらなくてはいけなくても、頑張ってほしいということです。