エッセイで生きていくなんて考えていなかった
――今年の4月に専業作家として独立されましたが、それまでも「note」で家族のことや身近で起きた面白い出来事を書かれています。エッセイを書き始めたきっかけは?
弟と一緒に三重のテーマパーク「パルケエスパーニャ」に行ったときのことをFacebookに書いたのがきっかけです。弟は知的障害があるんですが、会社を休職して人間的な未熟さを感じているときに、弟との旅行ですごく励ましてもらったということを書いたら、Facebookの投稿を読んだ何人もの人から「すごくいいから、どこかに残した方がいい」と言われて、いい気になって「note」に書いちゃったというような感じで。バズるかもしれないとか、エッセイで生きていくとかは全く考えていませんでした。
このあとに書いたブラジャーを試着した話や弟が万引きに間違われた記事もTwitterで拡散されて、100万PVくらいになって、こんなにたくさん読まれて自分でもびっくりしています。
――いずれも新刊『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』にも収録されているエピソードですね。「note」に書いたものを改めて本にしようと思ったのはなぜですか?
バズり始めた去年の秋ごろから、いろんな出版社さんからご連絡をいただいたんですが、障害のある家族の感動エッセイを書き下ろすような企画で、言葉にできない違和感がありました。車椅子の母と知的障害の弟と、障害のある家族がいて頑張っている女の子という見方をされることが多くて。
そんな中、小学館の担当編集者から熱量の高いメールをいただいて、「いまいちばん私が書きたいことは「note」に書いていることだから、それをベースに書けないか」と相談したら、「それでいきましょう」と言ってくれたんです。
ただ、横書きの「note」では、リズムを大事に、省く言葉や行間なども考えて記事にしていたんですけど、縦書きにしたら全然伝わらなくて、けっこう書き直しました。
自分のハンデが、誰かの光になった
――それにしても、去年の8月から「note」で本格的にエッセイを書き始めて、1年も経たずに会社を辞めて作家になるという決断の速さはすごいですね。
会社を辞めるつもりはなかったんですけど、私が所属する「コルク」(クリエイター・エージェンシー)の代表・佐渡島庸平さんの「岸田さんは誰も傷つけない面白い文章が書ける珍しい人だ」という言葉が大きかったです。
テレビなどでも、人の容姿や趣味趣向などをいじって笑いをとるという、誰かが傷ついてしまう笑いがある中で、自分の不幸や自分が傷ついたことを誰かに押し付けたりせずに、丁寧に言葉を選んで、面白いもの、明るいものにしている、と。それは私が、父の死や母の病気、弟の障害、会社になじめなくて休職したこととか、「たくさん傷ついてきたから、人を傷つけない文章が書けるんだと思う」と言ってくれたんです。
いままで自分ではマイナスとかハンデだと思っていたことが、こうして書くことによって、誰かにとって光になったり、面白い時間になったり、プラスになるんだと思ったら、その日のうちに会社を辞めることを決めていました。
――そんなに即決だったんですか!
佐渡島さんもめちゃめちゃびっくりされて、「お金ないよね」「お金ないです」「どうしよう」って(笑)。でも、noteには「投げ銭」の機能があって、実は弟とパルケエスパーニャに行ったときの記事で、すでに生活できるくらいの収入があったんですよ。それはnoteの人からもすごいと言われて。
ただ投げ銭も神社とかじゃないんで、ずっと来るわけじゃないですよね。どこかの雑誌やオウンドメディアで連載することも考えたんですけど、自分の過去や家族、いまここで起こった大事な人との楽しい出来事を、いつなくなるかわからないところで切り売りするのはちょっと違うかもと思ったんです。
そこで、noteで月4本以上の私のエッセイが読めるという有料購読マガジンを始めました。「こんなの誰が登録するんだろう」って思っていたら、たくさんの人が登録してくれて、それだけで1カ月食べていけるくらいになって、いまもずっと続いています。noteに書いたものって、本にすることもできるので、それで「作家」という肩書きになんとなく落ち着いた感じです。
「愛のおすそ分け」でできあがった新刊
――新刊『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』の装丁は、祖父江慎さんにお願いしたそうですね。
絶対お受けしてくれないだろうと思ったら、サクッとお受けしてくださって。noteの記事を印刷したものを読んだだけで「これはあまり本を手に取らない人にも読んでもらいたいですね。サイズもいわゆる四六判よりちょっと小さい方がいい。『ももかん(もものかんづめ)』みたいにしよう」と決まっていって、「ちょっと読んだだけでわかるんだ」と驚きました。
そこから急に「奈美さん、絵を描きましょう」って言われて、表紙の絵を描くことになり、2カ月くらいかけて頑張って描いた最初の絵を送ったら、「うん、下手」って言われて(笑)。でも、祖父江さんからの指示どおりに描き直したら、ちゃんとできあがったんですよ。
あと実は、ノンブルは弟が書いたものなんです。これも祖父江さんが「弟さんに書いてもらいましょう」って。弟は字がそんなに書けないからと心配していたんですけど、「もう、しゃあないな」って書いてくれました。しかも祖父江さんだから容赦なく「もう3パターンお願いします」という……(笑)。弟が書いた4パターンくらいの数字を組み合わせて、ノンブルにしてくれました。
ダウン症で字が書けなかった弟が、はじめて本を出版するわたしのために、練習して数字を書いてくれ、それが粋すぎる装丁で本のページ番号になり、クレジットに弟の名前が載って、一家がそろって爆泣きしてんの。死んだ父ちゃんもたぶん泣いてんの。 pic.twitter.com/ty33ebbAv6
— 岸田奈美|📕発売中&11月読書フェス主催 (@namikishida) September 23, 2020
それと、すごく嬉しかったのが、中表紙に写真家の幡野広志さんが東京駅で撮ってくれた家族写真を配置してくれたことです。幡野さんも快諾してくれて。
――岸田さんといえば「家族」というイメージがあります。noteのエッセイでも家族愛があふれていますし、新刊も家族の話を中心に構成されていますね。
家族について絶対書こうというわけじゃなくて、自然と入ってきたという感じです。いまの私にいろんなことを気づかせてくれたり、学ばせてくれたりしたのは、やっぱり過去の家族の話。
私は自分の“愛”を自慢したいんですよね。私が愛している家族や愛しているものを、他の人にも愛してもらったり、面白がったりしてほしいと思って文章を書いているんです。めちゃくちゃ面白いこと、自分がいいと思ったことをプレゼンして、みんなに喜んでもらう。そこに一番幸せを感じるんです。“ひとりアメトーク”みたいなことをずっとやっているんですよ。
しかも、私の場合、いい文章を書くといい縁を連れてきてくれるんです。私が文章で愛をおすそ分けしたら、幡野さんが写真を貸してくれたり、祖父江さんが装丁をしてくれたり、絵まで描けるようにしてくれたりと、他の人が別の形で愛をおすそ分けしてくれる。今回、本として残すことってちょっと恥ずかしいなとも思っていたんですけど、自分の好きな人たちが集まってできあがったんだなと思うと、本という形にできてよかったです。