「コンパクトディスクだから音がいいでしょ」
とは、爆風スランプというロックバンドのシングル「青春りっしんべん」の一節だ。同曲はアルバム「しあわせ」に収録されている。ちなみにシングルは1986年の発売だという。ぼくは8歳のころだ。
コンパクトディスク、いわゆるCDは登場するや否や急速に普及し、ぼくが小学生のころにはすでにCD派とレコード派に二分されていた。ただしぼくの家にはレコードもCDもなかった。たぶん両親がそれほど音楽に親しんでいなかったのだと思う。ちょっとぼろっちいカセットプレイヤーと、ダビング(当時一般的な音楽の楽しみ方で、ダビング可能な機器には著作権者へ分配される補償金を上乗せして販売されていた)した松任谷由実や杏里のアルバムのテープが数本だけ、ちょこんとあった。
だから、ぼくが初めて手に入れた音楽ソフトはカセットテープであった。いつかの夏休みに祖父母のもとを訪れた時に買ってもらった。ただし祖父母はカセットレコーダーすら持っておらず、自宅に戻るまでの数日間、聞けないカセットテープをじっと握りしめていた記憶がある。もうぼくは11歳だったから、精神的な成熟が周囲より少し遅かったかもしれない。そういえば当時は、ひとりで電車に乗るのが怖かった。
話が逸れた。祖父母に買ってもらったカセットテープは爆風スランプの「I.B.W.」というアルバムだ。大ヒット曲である「リゾ・ラバ」、壮大にリアレンジされた「大きな玉ねぎの下で」が収録され、それ以外にもコミカルな歌詞世界、シャウト気味のボーカル、圧巻の演奏とファンクネス、別離の悲しみと再出発の決意、青春にしかない切ない詩情、現代社会への違和感と、爆風スランプの魅力がてんこ盛りのアルバムだ。と言いつつ、買った当時のぼくはテレビでよく見た「Runner」を聞きたかったから、初めて聞いて「アレ?」と思ってしまったのは確かだ。
なぜ爆風スランプを選んだのか、あまり覚えていない。ただ、空前の好景気だった80年代の空気を反映するような煌びやかな格好でコミカルに、奔放に、時に切なく、声を嗄らして歌う彼らが、小さな生活圏の中でなにもできなかった小学生時代のぼくには、とても眩しく映った。思い返せば、ぼくにとって「大人」のロールモデルは爆風スランプだった気がする。「I.B.W.」だけを握りしめて中学校に上がったぼくは、親にCDラジカセを買ってもらった。小遣いも多少は増えたから、レンタル店で爆風スランプの他のアルバムを借りてきてはテープにダビングし、ずっと聞いていた。「自分はどんな世界で、どんな大人になるのだろう」という自問を、何となくかかえながら。
いつのまにか、ぼくは42歳になった。周囲の同じ年頃の人たちに比べるとずいぶんだらしなく仕上がっているが、それでも「I.B.W.」のカセットテープを祖父母にねだったころよりは、できることが多少は増えた。立派な大人になれたかどうかは定かでないが、体重も40キロくらい増えた。スマホの地図アプリで経路を検索してひとりで電車に乗るし、音楽はストリーミングかダウンロードがもっぱらになりCDはほとんど持たなくなった。ついでにいえば、あのころの爆風スランプのメンバーより年上になった。
そんないまでも、爆風スランプのアルバムを聞き返すたびに、「こんな大人になりたい」と未来形の願望をいだいてしまう。やはり精神的な成熟が人より遅いのかもしれないけれど、ぼくはこれからもずっと、爆風スランプのようになりたいと願いながら年を取っていくのだろう。ぼくにとってそれは、とてもしあわせなことなのだ。