私が十代の頃、テレビの中では、女性がセクハラされるのが日常のこととして描かれていた。
今でも忘れられないドラマの場面がある。それはショートオムニバスドラマで、会社の温泉旅行の幹事になったOLが主人公だった。宴会の出し物の一つとして、浴衣を着た新人OLたちがステージの上に呼び集められ、周囲の男性社員たちが合図して、女性たちの浴衣の裾を引っ張り上げる。当然彼女たちの下着が露になり、彼女たちが悲鳴を上げる一方、男性社員たちは大喜びするという場面だった。
主人公のOLの目にそれは醜悪なものとして映っており、男性社員たちの酔いに任せたセクハラの現場の数々を写真に収めた彼女は、旅行後、記念写真ですとそれらの写真を彼らに配ってまわり、復讐する、という話だった。セクハラは悪いことという意識はあっても、いつもどこか冗談めかされ、軽いものとして描かれていた。私は子どもで、当時の実際の会社の状況を知る由はなかったけれど、テレビの中の女性社員は、お茶汲みをし、コピーを取り、男性社員に茶化されたり、馬鹿にされたりしていた。
だから、92年に放送がはじまったドラマ「悪女(わる)」は、信じられないくらい、面白かった。
近江物産という大手の会社の末端にコネで入ったダメダメOL、田中麻理鈴が、謎のベテランOL峰岸さん(倍賞美津子)の「ねえ、出世したくない?」という口車にのって、裏技を駆使して出世する物語だ。私は連載中だった原作の漫画のファンでもあったのだが、とにかくこの作品は、OLなんて寿退社するのが当たり前とされているなかで、マリリンが数々のミッションをこなしてゲーム感覚で出世していくのが、斬新だった。
ドラマ版のテーマ曲も挿入歌もどれも良く、冒頭でマリリンを演じる石田ひかりが一粒の涙を流すのだけど、それが目薬だったことがわかるオープニングなど、今見てもとても好きだ。
そう、何十年ぶりにこのドラマを見てみた。古いところはもちろんあるけれど、相変わらずやっぱり面白くて、でも、秘書という仕事に対して、「主婦みたいですね」「秘書を使える立場になりたい」と言い放つマリリンには、そうじゃないだろ、と今なら思う。「過労死するまでがんばります!」という彼女の自己紹介のセリフは、女性はがんばるものではない、という固定観念の反転だったのだが、今聞くとぎょっとしてしまう。男性社会の中での一握りの人たちの出世よりも、誰もが生きやすい社会を構築することのほうが重要だけれど、この作品で扱われる「出世」は、「女性と出世」をありえない組み合わせだとする社会へのカウンターだった。
男性社会の構造の問題があまり突き詰められず、女性たちのがんばりを促す方向に行きがちなのも時代の限界を感じる。当時の私は、最終回に不満があった。中学生だったので、原作のように、様々なミッションをこなしていくマリリンが見たかったのに、なんだか中途半端に終わってしまったように感じたのだ。でも、見返してみると、よくまとめられた、とてもいい最終回だった。
「OLみんな、田中麻理鈴よ」
峰岸さんの言葉の通り、「悪女」は、マリリンだけじゃなくて、同じ時代を生きるさまざまな女性のあり方を描いていた。
峰岸さん、という稀有な女性のメンターを心から必要としていた優秀な木村さん(渡辺満里奈)、30歳になるまでに三千万貯めるために副業しケチりまくる梨田さん(河合美智子)、会社にモテるために来ている、その時代に求められていたOL像を鶴田真由が面白く演じてみせた佐々木さん。焼き鳥屋で働いているリョウコさん(石野陽子)は、マリリンと友情を築いて彼女を助け、明らかに「平均的な若い女」とは違うマリリンを好きになった男性社員石井さん(永瀬正敏)に、マリリンを好きになるってことは、おまえ普通の男じゃないな、という惚れ方をするのだが、こっちはそんなリョウコさんに惚れる。隠れるように存在していたアウトサイダーの女性たちが、規格外のマリリンの魅力に気づき、彼女をサポートするのと、最初はマリリンを疎んじていた女性たちが徐々に自分の中の「マリリン性」に目覚めていく過程が、この作品では繰り返される(マリリンが仲良くなった女性と、うっひゃーと自転車の二人乗りをするシーンが何度もあるところも最高)。つまり、徹頭徹尾、女性たちにフォーカスしていた。
最終回、二人のベテランOL、峰岸さんと、総務の宇田川チーフ(岡本麗)はこう語り合う。
峰岸「両方バランスよくできる時代ってくるのかな?」
宇田川「女が女のまま仕事ができる世の中?」
峰岸「そう、結婚してもしなくてもいい、子どもを産んでも産まなくてもいい、自由で軽やかな時代。今、女性が試されてるのかもね」
峰岸さんは、マリリンに希望を見たのだなと、今ならよくわかる。田中麻理鈴という希望とともに、女性が自由に生きられる世界という夢を社会に放ったのが、「悪女」だった。