二文字の詩
あなたには恩師がいるだろうか。わたしには先生と呼ぶ人はいるが、恩師はいない気がする。そう思ったのは、『かくかくしかじか』(通称・かくしか)を読んだからだ。
かくしかは、作者の東村アキコ(本名:林明子)が絵画教室の恩師である日高先生と過ごした日々を綴ったエッセイマンガである。
日高先生は、明子に、わたしに、その生きざまをド直球に投げこんでくる。
「林、飲め 今日だけ飲んで、明日からまた描くぞ」
(『かくかくしかじか』1巻)
「余計なこと考えんでいいから、見たまんま描け」
(『かくかくしかじか』2巻)
「描きたいものなんてなくていいんや ただ描けばいいんや 目の前にあるものを」
(『かくかくしかじか』3巻)
短歌は三十一音のなかに100文字分、それ以上の想いを凝縮して伝えることができる。たとえば、こんな短歌。
こんなところに釘が一本打たれいていじればほとりと落ちてしもうた 山崎方代『右左口』
話のネタにもならないような些細なつぶやき。しかし、短歌という器で差しだされると、方代が確かに存在した証が凝縮されて伝わってくる。たった三十一音でその人の生きざまが表現できるのだ。
最終5巻。余命わずかとなった日高先生が、絵が描けずに白いキャンパスの前で立ち尽くす元ヤンキーの今ちゃんに言う。
「描け」。
この言葉を聞いた瞬間、わたしは涙が止まらなくなった。
それは、ここに至るまでのド直球なことばの数々から、最終巻で放たれる「描け」の二文字がただの励ましや教訓ではなく、先生の生きざまが凝縮された詩であることを感じ取ったからだ。
わたしは弱い。本当に大切なことを教わっても、日々の生活に追われまたすぐに忘れてしまう。だから何度も読み返し、この詩から本当に大切なものを何度も何度も教わる。
そうしていつしか、日高先生はわたしの恩師になっていた。
祈りながら絵のなかに消えてゆくような声です 溢れるばかり