ISBN: 9784797680652
発売⽇: 2021/02/05
サイズ: 18cm/236p
熊楠と幽霊 [著]志村真幸
博物学、民俗学の知の巨人が心霊現象体験者だったと聞いても別に驚きはしない。夢で幽霊の父親に会ったり、様々な神秘体験をしたからとて疑う余地などない。人間はもともと肉体的、精神的存在であると同時に霊的存在なので、その一部が露出しただけのことで、驚く方が近代主義に毒されている。
さらに熊楠が幽体離脱したからといって騒ぐこともない。彼の魂と身体が細い紐(ひも)のようなものでつながっているということを、水木しげるはろくろ首で表現するが、意識の遊離を視覚的に描いたらこうなる。
このような体験によって死後生存を予感していたために、熊楠が大乗仏教の深層心理である唯識論の阿頼耶識(あらやしき)に興味を持って、無意識に輪廻(りんね)を断ち切った不退転者を希求していたと仮定しても不思議ではない。
この世は人間しかいない世界で、神も仏も天使も魑魅魍魎(ちみもうりょう)も存在しない実有(じつう)の世界である。あの世とは森羅万象の全てが存在する世界。万物は空であるのに、人間の迷いがこれを実在と考えている。言葉も態度も表現技術なくして存在できるのが死後の世界である。
従って熊楠の亡き父が専門家でもないのに珍しい植物の存在を知っていて、夢のお告げによって熊楠に情報を与えたとしても十分納得できる。父のいる実相界では全てが存在して全てが見える世界なので、熊楠の無意識を通路にすれば、精神感応によって父の意思はいとも容易に伝達される。あの世には夢はない。しかし、人は夢の世界で全ての存在を見ることができる。だから人の生は夢なのである。また向こうの世界は相対的世界であることを忘れてはならない。
本書では深く掘り下げられないが、熊楠は潜在的に阿頼耶識の存在をうすうす感知しており、自らの魂の存在を解明するための手段として幽体離脱や夢、超能力などの神秘体験に糸口を見いだそうとしたような気がする。
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しむら・まさき 1977年生まれ。慶応大非常勤講師(比較文化史)。『南方熊楠のロンドン』でサントリー学芸賞。