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「灰の劇場」書評 重なる虚構 変容する白の心象

評者: 押切もえ / 朝⽇新聞掲載:2021年05月01日
灰の劇場 著者:恩田陸 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784309029429
発売⽇: 2021/02/17
サイズ: 20cm/339p

「灰の劇場」 [著]恩田陸

 恩田氏本人を思わせる作家が、1994年に新聞の三面記事で見かけて以来、忘れられなかった事件を軸とした小説。
 著者の小説において初めて実在人物が登場するが、その2人の顔や名前、事件の細かな背景は不明。わかっているのは同居する女性2人が飛び降り自殺をした、という事実だけだ。
 作家の中で「棘(とげ)」となっていた事件を小説にする過程と、その小説が舞台化される話、そして当事者である女性TとMの物語が交錯しながら進む。どこまでが現実で、そして虚構とは何か。初めは混乱しかけたが、徐々にそれが心地よく感じられるほど、生死を扱うテーマ、そして圧倒的な文章の力に引き込まれた。
 なぜ2人は死を選んだのか、それがどうして自身の中で「棘」となったのか。自問し、逡巡(しゅんじゅん)する作家。デビュー時や日常生活の話なども描かれ、リアルな著者の思いをのぞき見できたようにも感じつつ、またそれも創作か、と揺さぶられる。
 白と灰。本書を思う時、一貫してその色が浮かぶ。静かで何もないことを想(おも)わせる白に、それが汚れてくすんだ灰。登場人物がみな名を持たないこと、また各々(おのおの)の言葉遣いや服装、仕草(しぐさ)などで人物像はリアリティーを増すが、最後まで顔だけがぼんやりしていることもその世界観を強調する。
 2人が死を選ぶことを知っている上で物語がどう進み、完結するのかも読みどころの一つだろう。
 Tの結婚式で、白い鳥の羽根が降る場面が印象深い。初めは美しいと感じたが、延々降り続くことで自由をもぎ取られ、後に命まで落とす未来が頭を過ぎる。〈人は、意外に「気分」で死ぬ〉〈発作的に。衝動的に。なんとなく〉。著者が2人の心に寄り添うように話を展開した後、この一文は強い説得力を持った。
 結末にくるのは、哀(かな)しみと絶望。でもそれだけではない。重ねられた虚構に、作家の2人の死を悼む思いが感じられた。
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おんだ・りく 1964年生まれ。小説家。著書に『夜のピクニック』『蜜蜂と遠雷』(直木賞)など。