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短歌の言葉、難局越える底力に 現代歌人協会・栗木京子理事長

横関一浩撮影

混迷の1年、571首収めたコロナ禍歌集

 理事長のポストに就いたのは2020年春。コロナ禍の混迷に日本中が巻き込まれていく状況下での就任だった。「全国短歌大会の授賞式や公開講座が中止に追い込まれるなか、二つの大きな取り組みがあった」と振り返る。

 一つは、日本学術会議の会員候補6人が任命されなかった問題について、現代歌人協会と日本歌人クラブが昨年10月に共同で出した「日本学術会議の新会員任命拒否に反対する声明」だ。

 短歌の世界では1940年、「大日本歌人協会」が国家に協力的でない会員がいると非難されて解散に追い込まれる事件があった。「他人事として見ていると、すぐに文芸の世界に食い込んできますからね」

 もう一つは、今年5月に現代歌人協会が出した『二〇二〇年 コロナ禍歌集』。約900人の会員のうち571人がコロナに翻弄(ほんろう)されたこの一年を詠み、1首ずつ収めた。

 ベテランの奥村晃作さん(85)が寄せた歌は、〈ぬばたまの夜が明けぬれば今日もまたウイズコロナの工夫の暮し〉。「こうした前向きな歌を読むと、嘆いてばかりもいられないと思いますね。日常を支え、難局を乗り切る底力を、短歌の言葉が培うことができるのではないかと考えています」

 去年から今年にかけて、日本文芸家協会理事長に林真理子さん、日本ペンクラブ会長に桐野夏生さんが就き、それぞれ女性初の就任として話題になった。現代歌人協会も1956年の創立以来、女性のトップは初めてのことだった。

 「先輩歌人の馬場あき子さんに相談しました。逃げたい気持ちもあったんですが、背中を押されて」

 もともと短歌の世界では万葉の時代から額田王など女性の歌人が活躍してきた。「短歌史をひもとくと男性の活躍が目につくけれど、それは男性が男性の歌を引用して評論してきたから」。戦後の女性歌人たちの流れをたどる評論集『現代女性秀歌』をかつて著したのも、意識的に取り上げていかなければと考えたからだという。

たくさんの人の日々の思いに支えられ

 自身の短歌との出会いは、京都大学理学部在学中だ。化学の実験がうまくできず、授業にもついていけない。居場所がないと思っていたころ、結社誌「コスモス」を手に取った。歌歴1カ月で「二十歳の譜」(50首)を詠み、角川短歌賞の次席に。中学の国語の教科書に載る次の歌は、このときの作品だ。

観覧車回れよ回れ想ひ出は君には一日(ひとひ)我には一生(ひとよ)》

 卒業後、市役所勤務などを経て結婚。専業主婦となり、一度は短歌をやめた。出産後に体調を崩したとき、京都大時代の恩師で短歌結社「塔」を主宰する故・高安国世さんから声をかけられ、歌作りを再開した。

 飛躍のきっかけは第5歌集『夏のうしろ』。17歳の少年によるバスジャック事件や米国での同時多発テロ事件など、社会情勢を詠み込んだ。

普段着で人を殺すなバスジャックせし少年のひらひらのシャツ

 この歌集で読売文学賞や若山牧水賞を受賞する一方で、時事詠については、「目線が高い」といった批評も受けた。

 「一介の主婦が上から目線で詠んでいると思われたようです。悩み事が生じるといつも馬場さんに相談するのですが、そのときも気にすることないよ、大きく詠めばいいんだよ、と」

 その後、第6歌集『けむり水晶』で迢空賞、第10歌集『ランプの精』で毎日芸術賞を受賞し、昨年1月には「歌会始の儀」で召人に。若山牧水賞などの選考委員も務める。「可能性を追求する目、型破りな突進力みたいなものを今後も大切に見ていきたい」

 読売歌壇など新聞歌壇の選者も10年以上務めてきた。「歌壇は、一部の先鋭的な歌人が切り拓(ひら)いていくものではなく、日々の思いをはがきに書いたり、SNS上に投稿したりするたくさんの人たちによって支えられていくもの。今後もみなで盛り上げていけたらいいですね」(佐々波幸子)=朝日新聞2021年7月21日掲載