『挑発する少女小説』ができるまで
――斎藤さんの少女小説への関心は、「文學界」2001年6月号に発表された評論「少女小説の使用法」まで遡ります。その後、2016年から始まった「ハルメク」でのエッセイ連載を経て、『挑発する少女小説』が刊行されました。
友人が当時「ハルメク」の編集長で、連載を依頼された時、「文學界」ではできなかった翻訳少女小説の各論をやりたいと提案しました。そうしたら、彼女自身も少女小説が大好きだし、50代60代女性が多い「ハルメク」読者も絶対ついてくると、ものすごくノッてくれたんです。「ハルメク」の原稿は短く、各論とはいえあまり掘り下げることはできなかった。けれども、この連載が各作品についてたくさん考えるきっかけになったし、ここで取り上げた選書が『挑発する少女小説』のベースになっています。
その後、河出書房新社からお声がけいただき、そのままになっていた少女小説連載の原稿を書籍化することにしました。ところが、河出の担当編集者は男性で、取り上げている作品を見事に一冊も読んでいない(笑)。それで、この人にもわかるような内容にしなければと思い、結果的にほぼ書き下ろしになりました。
――少女の横顔が描かれた帯と力強い惹句など、パッケージも印象的でした。
帯の絵を手がけているのは、げみさんというイラストレーターです。私の希望でげみさんにお願いし、格好よい女の子に仕上げていただきました。背景も青空ではなく、逆光なのが気に入っています。
――先ほど読者層のお話が出ましたが、少女小説は女性を中心に愛されてきたジャンルです。
そうなんですよね。おまけにこんなに熱い読者はいないんじゃないかと思うほど、好きな人の熱量が圧倒的。大人になってからも作品を愛していて、『赤毛のアン』フリークは物語の舞台になったプリンスエドワード島に行っちゃったりするわけでしょ。内容についても詳しいし、ネット上にもいろいろなブログがある。太宰治が好きとか、三島由紀夫が好きって人はそりゃいるけど、それとは根本的に違うというか、”推し”に近い感じがする。だから下手なことは書けないというか、適当にけなしたら一巻の終わりだと思いました。
――斎藤さんにそう思わせてしまうほど、ある意味怖いジャンルでもあると。取り上げた9作品はどのような基準で選ばれたのでしょうか。
候補はいろいろありましたが、最終的にはたとえ読んだことはなくても、多くの人がタイトルを知っているであろうポピュラーな作品を選びました。ラインナップの中には、『赤毛のアン』や『若草物語』のような、絶対に外せない超定番作品がある。一方で、『ふたりのロッテ』や『長くつ下のピッピ』には、若干私の趣味が反映されているかもしれません。
――斎藤さんご自身の少女小説の思い出をお聞かせください。
最初に触れたのは講談社の絵本で、その後は定期的に買い与えられていた岩波少年文庫を中心に読んでいました。子ども向けの本は抄訳やダイジェストが少なくないけれど、『あしながおじさん』や『若草物語』は最初から完訳で読んでいた。『若草物語』は『四人の姉妹』というタイトルで、遠藤寿子の訳でしたね。岩波系列ではない『赤毛のアン』は持っていなくて、図書館で借りて読みました。
――特に好きだった作品はありますか?
『若草物語』と『あしながおじさん』。『若草物語』が好きな人はみな、「ジョーは私だ」と思うわけじゃない? 私もそのパターンだった。『あしながおじさん』は、どちらかというと『続あしながおじさん』の方が好きでしたね。『続』はジュディの友人が孤児院の院長になって奮闘する話で、それが働く女の悲喜こもごもみたいで面白かった。小中学生が読める女性の職業小説って当時はあまりなかったし、その影響で将来は孤児院の院長になりたいと思っていたほどでした。
少女小説をいかに読み解くか
――良妻賢母教育のツールとして開発された少女小説は、今の価値観に照らし合わせて読めば、保守的な要素を含んでいる。ですが斎藤さんが本書で行っている多様な読解は、そうした表面的なメッセージを超越していて、とても刺激的でした。
たとえば『若草物語』が好きな人は、元気なジョーに魅力を感じて、彼女に憧れていると思う。だけどよく読むと物語に書かれているのは、よき小婦人になりなさいという、教育的なメッセージです。そうした作品を書いた側の思惑と、読み手の解釈のズレが生み出す二重構造や、あえて誤読する面白さを本書では打ち出していきたいと思いました。普通の文芸評論ではやらないような、登場人物の将来を考えるなんてことまでやっている。『ハイジ』のクララはやり手の実業家で、ペーターはアウトローとか、『秘密の花園』のメリーは造園家になるかもしれないなどと、想像するのが楽しかったです。
――全体を通じて斎藤さんらしいキレのある文体と視点が際立っていました。とりわけ男性キャラに対する突っ込みが手厳しく、そこも面白かったです。
みんなそう言うけど、そんなに辛辣ですかね(笑)。これくらい普通じゃない? 少女小説は読者である女の子が楽しく読む世界だから、作中の男たちは女の子より少しバカに見えるように書かれているし、主人公は男キャラにひれ伏していない。アンは外見をからかったギルバートの頭を石版で殴打するけど、そこがすごく気持ちがいいでしょ。『小公女』の父親も親バカでどうしようもないキャラだけど、作者のバーネットも絶対そう狙って書いているはず。『若草物語』のローリーは読者から比較的好かれている男性キャラですが、それはマッチョな子ではないからなのだと思います。
――恥ずかしながら『ハイジ』の完訳をこれまでちゃんと読んでいなかったため、アニメとは全く異なるペーターの人物造型に驚きました。
原作のペーターは資本主義社会の犠牲者です。私はペーターを救いたいよ(笑)。彼はハイジとクララの友情に嫉妬して、車椅子を山の斜面から突き落としたりもしている。女の子同士の友情に男がヤキモチを焼くという、面白い構図が生まれています。
『ハイジ』は長編小説なので、子ども向けのダイジェストや抄訳だと理屈っぽいところが全部省かれている。だからお話の筋としては知っていても、ちゃんと読んでいる人は意外と少ない。本来の物語は少女のビルドゥングスロマンで、ハイジがアルプスを出てフランクフルトで学ぶというのがこの作品の重要なプロットになっている。近代の光と影が描かれた『ハイジ』は、内容的にも大人のためのテキストです。子どもの頃に読んで憧れたわらのベッドとは異なる、もう一つ別の世界が奥に広がっています。
――『あしながおじさん』では、作中に登場する社会派要素にも光が当てられています。
こういうところも、大人になってはじめて分かりますよね。『あしながおじさん』は恋愛小説として読まれすぎだと思う。どうしても男女関係、異性愛の方に引っ張っていくけれど、そうではない読み方の方が面白い。大学に進学したジュディは社会主義に目覚め、フェビアン協会員にもなっている。ラストの結婚は、『続あしながおじさん』とあわせて考えれば、孤児院の改善というジュディの夢のためと解釈することができます。
――取り上げられている作品の中で、『ふたりのロッテ』と『長くつ下のピッピ』は戦後に発表された比較的新しい小説です。
この2つは絶対取り上げようと決めていました。『ふたりのロッテ』の作者はケストナー。本書で取り上げた小説の中では唯一、男性作家による作品です。他の小説とはやや系譜が異なるけど、入れることで違いが際立ちます。『ピッピ』は明らかに従来の少女小説の流れを汲んだうえで、そのパロディとして執筆されているので、これを最後に置きました。
――『ふたりのロッテ』では、両親の離婚も描かれています。
こうして振り返ってみると、取り上げた作品の中には、離婚、毒親、ネグレクト、格差社会、貧困など、現代にも通じる問題が入っている。古典的な名作は今のセンスで読み解いても面白いし、ちゃんと分析ができる強度のあるテキストだからこそ、生き残ったのだと思います。
描かれるディテールの醍醐味
――『赤毛のアン』はとりわけ日本で人気が高い作品ですが、斎藤さんが言及しているように、アンの保守的な選択が批判的に論じられることもありました。
アンは妥協して大学に行くのを断念するけど、これは育ての親に義理立てをして、自分の夢を諦める子というふうにどうしても見えてしまう。私もある時期までは、アンの姿は「東京の大学じゃなくて地元の短大に行きなさい」という風潮と合致するものだと思っていた。ですが、今はその先があると考えています。
少女小説好きの中には『赤毛のアン』派と『若草物語』派がいて、ここにはアンとジョーの違いにみる、きらきらしたものに対するシンパシーの問題がある。アンはロマンチックなものが大好きで、帽子に花を飾ったり、パフスリーブの洋服に憧れる女の子です。そしてある時期までのフェミニズムは、こういうかわいいものを否定してきた。けれども、90年代のアメリカで始まった第三波フェミニズムは、ガールパワーやガールカルチャーがキーワードのひとつになっている。自分の趣味を肯定するアンの姿も、その流れに接続できると、今は考えています。
――『赤毛のアン』のパフスリーブが象徴するように、少女小説では生活まわりに関連する描写がとても豊かですよね。
『若草物語』のライムの砂糖漬けや、『あしながおじさん』の絹の靴下、そして黄色い原稿用紙など、魅惑的なアイテムが物語にたくさん登場する。吉屋信子なんかもそうだけど、戦前の小説では着物がどうとか、生活まわりのディテールが本当に詳しく書き込まれているんですよね。戦後は児童文学でも大人の小説でもそういうのが少ないから、古い小説のスタイルなのかもしれないけど、この風俗の書き込みがたまらなく魅力的なわけです。ところが男性にいわせると、こういう描写が長くて鬱陶しいしらしい。
――むしろそこが作品の醍醐味だと思うのですが……。少女小説は多くの男性にとってはなじみが薄いジャンルですが、斎藤さんのご本をきっかけに読んでみようとはならないのでしょうか。
絶対ならないんじゃないですか(笑)。本は面白かったです、こういうことが書いてあったんですねで終わり。そこから作品へは踏み出さないでしょう。でも最近ジェンダー論がブームだし、女がわからないとお悩みの男性はここから勉強しなおすとよいのではないでしょうか。お嬢さんやパートナーのことを知るために読んでもいいと思います。