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郷土史家・越中先生と精霊流し 青来有一

イラスト・竹田明日香

お盆 生死を越えた縁の物語いつまでも

 長崎の郷土史家、越中哲也先生が亡くなられたのは9月25日でした。享年99歳。長崎の歴史はなんでも知っておられ、その博識は驚くばかりでしたが、なんといっても茶目っ気のある人柄とユーモアたっぷりの語り口が歴史ファンだけでなく多くの人々を魅了しました。

 特に長崎の精霊(しょうろう)流しを中継するテレビ番組では40年にわたり解説をつとめ、番組の終わりには「来年は私も精霊船に乗っとるでしょう」といった冗談を言い、精霊流しをしめくくる恒例の一言になっていました。

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 長崎のお盆は8月13日の盆の入りに御先祖の霊をお迎えし、初盆の家でなければ14日にお墓参りをして、15日に精霊船で西方浄土にお送りをします。

 テレビのニュースで流れる大きな精霊船は初盆を迎えた家の船です。それ以外の年には仏壇にお供えした菓子や果物をおみやげに包んだ小さな菰(こも)の船を流します。地域ごとに「流し場」が設けられ、大きな精霊船も小さな菰の船もそこに運んでいくことになります。

 全国津々浦々にひろがる祖霊信仰と仏教の極楽浄土の考えがまじりあった行事で、長崎県内でも地域によっていろんな精霊流しがあるようです。長崎市一帯では、特に初盆を迎えた家の精霊船に多くの担ぎ手がついて「ドーイドイ」の掛け声を上げて鉦(かね)を叩(たた)き、爆竹を鳴らし、花火をしながら、夏祭りのようににぎやかにお送りをします。それでも人々の心中には故人との別れを惜しむしんみりとしたひとすじの思いもあり、それはやはり祈りであって、信仰心なのかもしれません。

 わが家も仏壇があるので、お盆を迎えるときの心持ちがよくわかります。そのときの自分の心中をたどってみると、盆入り前にお墓の掃除に行ったあたりから、日常とはちょっとちがった感じで心を開きはじめ、亡くなった父にしばしば語りかけるようになっていることに気がつきます。

 お供えの酒の銘柄はなにがいいかと父に問い、先祖の霊が帰ってくるときの目印となる迎え火代わりの盆提灯(ぼんじょうちん)を準備しながら「迷わんようにね」と語り、網戸にしがみついたカナブンを見て「ああ、帰ってきた」と感じたこともありました。14日の盆の中日(なかび)に墓参りをし、15日の夕方、お供えの品々を菰に包み、それを流し場まで運んでいきながら「また、来年だねえ」とつぶやきもします。船を流した帰りには一抹の寂しさとともに、客人を無事に送り出してほっとした気持ちもあり、心洗われた清々(すがすが)しさを感じるのでした。

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 先祖の霊や亡くなった父が帰ってくるというのはフィクションだとわかっていながら、その物語にしだいにすべりこんでいく自分がたしかにいます。

 夜、遅い時間、流し場に置かれた精霊船が解体されていく光景を見たことがあります。ずっと前には精霊船をそのまま海に流し、人々はそれが波間に消えていくのをながめていたのかもしれません。たぶん精霊流しのクライマックスといえるシーンだったはずですが、大量の木材などを海に流すなど、いつまでもできるはずもなく、流し場を設けるようになったのでしょう。それでもお盆と精霊流しという一連の物語が損なわれることはなく、毎年、精霊船は私たちの想像の大海原で帆に風をはらみ、波を越えて進んでいきます。これからも時代に合わせて流し方が変わっても、今、生きている私たちと亡くなった人々との交流は続いていくはずです。

 「来年は私が精霊船に乗っとるでしょう」という越中先生のことばには「亡くなってもそれで終わりじゃなかですよ」といった生死を越えた縁を伝えるメッセージがこめられていたようにも思えます。越中先生は死者と生者が行き来する物語の豊かさを、ユーモアでふっくらとふくらませて語り聞かせてくれていたのかしれません。=朝日新聞2021年11月8日掲載