山間の心情に触れ 感じた豊かさ
「冬も3年過ごしたら慣れますわ」
山中の狭い道路を走りながら、そのひとは関西弁風のイントネーションで話を続けました。白いガードレールの向こうは急峻(きゅうしゅん)な崖で、はるか下方に秋の青空を映した渓流がちらちらと見え隠れしています。
「四国三郎」と呼ばれる吉野川は日本の三大暴れ川のひとつで、河口近くの徳島市街地では川幅も1キロを超えますが、上流にさかのぼっていくと、V字に深く削られた谷底の渓流にたどりつきます。アマゴなどを狙った釣り人が急な斜面を降りることがあるそうですが、片道1時間近くもかかるといいます。
前日、徳島市での講演は、コロナ禍で封じこめられた暮らしが長く続いたあとの久しぶりの遠出でした。せっかく四国を訪ねたのだからと思い、翌日、吉野川沿いを走る列車に乗り、かずら橋で知られる山深い祖谷の地を訪ねました。
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2時間ほどの間で見知らぬ土地を巡ることを考え、観光タクシーを予約したら、大きなマスクをつけた女性ドライバーが迎えてくれました。急斜面を蛇行する狭い道をベテランらしいハンドルさばきで走りながら、そのひとは山深い土地の暮らしのことも話してくれました。
山間の地には小中学校はあっても高校はなく、彼女の娘さんも高校生になって都市部に出たそうです。前日、講演の余談で「あきらめる」とか「断念」することは、たいせつなことではないかと話したのを思い出しました。特に親が子どもを手もとに引き留めたいという思いをおさえ、旅立ちを見送るときの心情にふれ、望み、求め、すがりついていたことを断念する、自らを無力なものとしてあきらめる瞬間、祈りが生まれ、人生はまたちがった輝きを放つのではないか……、日頃感じている素朴な思いを話したのです。
山間の地は、都市部とちがい、学校を卒業しても若い人たちはまず帰ってこないそうですが、「都会の暮らしは便利だし、働き口もないのだからしょうがないです」と彼女はさばさばした口調です。ただもっと年齢を重ねてから老いた親と暮らすために帰ってくる人たちがいるそうです。雪が深く特に冬の暮らしは厳しく、数十年ぶりに故郷に帰ってきた人々も戸惑うといいますが、それでも「石の上にもなんとやらでね、冬も3年過ごしたら慣れますわ」とおおらかです。
都会暮らしを経験した人々の中にはわざわざ風呂などの湯を釜でわかす人がいて、そんな方々は今の時期は薪を集めるなど冬支度で忙しいということでした。薪を拾う人たちの姿を思いながら山の景色をあらためてながめ、日当たりはよさそうな斜面の茶畑があることに気がつきました。お茶はそれぞれの家庭で飲むために少しばかり栽培をしているらしく、当然、機械を使うことなく、手摘みをすることになります。
電話一本、メール一通の注文でなんでも手にはいる世の中で、わざわざ薪を拾い、釜で湯を沸かし、小さな茶畑をつくるというのは、不自由をむしろぜいたくとして愉(たの)しんでいるような感じもします。
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長引くコロナ禍でリモートワークを経験し、都市部以外でも豊かな生活の可能性があるのではないかと人々が考えはじめた今、住む人もまばらな山間の暮らしに想像が広がりました。夕日に映える山々や木漏れ日をながめ、一日一日に感謝の祈りが自然にわいてくるのではないか、その瞬間、人生があらたな輝きを放つこともあるかもしれません。
道路はいよいよ細くなって話も途切れがちになったころ、タクシーの屋根でこつんとひとつ音がしました。
「どんぐりです」
一言だけつけくわえ、2時間でせわしく秋の景色を駆けぬけていく旅人を乗せ、U字カーブが続く山道をそのひとは走り続けるのでした。=朝日新聞2021年12月6日掲載