SF・ホラー・冒険の三本柱
――〈百合SF〉のヒット作として知られる『裏世界ピクニック』は、ホラーファンにも見逃せない作品です。実話怪談(=体験談をもとにした怪談)ネタを盛り込んだこのシリーズは、どのように誕生したのでしょうか。
もともとはストルガツキー兄弟の『ストーカー』のような冒険SFをやりたい、というのが出発点だったんです。たとえば町中の廃墟のドアをくぐると不思議な世界が広がっていて、そこを冒険して帰ってくるというような話ですね。その設定を詰めているうちに、徐々に実話怪談の要素が濃くなっていったのかな。結構前のことなのであまり覚えていませんが、そんな経緯だったと思います。当初は実在の怪談をそのまま使わずアレンジするつもりで、たとえば「くねくね」を「白うねり」と呼んだりしていました。
――主人公の大学生、紙越空魚が廃屋の扉の向こうに見つけたのは、この世と隣り合わせに存在する〈裏世界〉。彼女は怪異が多発する奇妙な世界を、偶然知り合った相棒・仁科鳥子とともに探検していきます。
シリーズを書き始めるにあたって「SF」「ホラー」「冒険小説」という三つの柱を立てたんです。それだけフックがあれば、どこかに読者は引っかかってくれるかなと。百合要素が大きなフックになるとは楽観していませんでした。いちばん最初の企画時点ではラノベの癖を引きずっていて、男の子が主人公じゃないと企画が通らないと思い込んでいたくらいです。この話は女性主人公の方が面白いんじゃないか、と途中で気づけて本当によかったです(笑)。
――では、百合ありきではなかったんですね。
そうなんですよね。1巻を出した頃は、「百合は売れない」というのが出版関係者の共通認識だったと思います。後に百合SFがブームになったことで「早川書房が百合にすり寄った」という人もいましたが、実際は逆で、むしろ『裏世界ピクニック』で百合を明言したのは、商業的なリスクをあえて冒すような挑戦だったんです。
怪談が現実化したユニークな世界観
――このシリーズで驚いたのは〈裏世界〉の設定です。これまで書籍やネットで語られてきた「くねくね」「八尺様」「きさらぎ駅」などの有名な怪異・怪談が現実化し、空魚たちの前に現れてくる。怪談好きにはたまらない世界観です。
僕はファンライター的な気質があって、自分が好きなものを読者にも知ってほしいという思いが強いんですね。このシリーズも自分が好きで読んできた実話怪談を、あちこちに取り入れるようにしています。一般に好きなものを書くと売れないことが多いんですが(笑)、このシリーズは例外でした。
ただSFとホラーは水と油のようなジャンルなので、両立の難しさは感じています。ホラーは得体が知れないから怖ろしくて、SFは分からないことが分かるから面白い。分からない現象に理屈を付ければSFになるんですが、するとホラーの側面がスポイルされてしまう。このシリーズがホラー方面からどう評価されているのか、正直不安ではあります。
――いえいえ、宮澤さんが大の怪談好きであることは、作品を拝読すればよく分かります。そもそも怪談好きになった原点は?
原点はやっぱり『新耳袋』(木原浩勝、中山市朗)あたりです。前後して大迫純一さんの『あやかし通信』も読んで、このあたりで実話怪談の面白さに目覚めました。1990年代後半ですね。当時は怪談よりむしろ妖怪に興味があって、中山市朗さんの『妖怪現わる』、さたなきあさんの『現代怪奇妖異譚』なども読んでいましたね。ネット怪談も一時期熱心に追いかけていて、作品に出てくる怪談はほぼリアルタイムで接していると思います。
――さすがにマニアックですねー。今でもこのジャンルは追いかけていますか。
竹書房ホラー文庫の実話怪談は買っています。毎月大量に出るので、積ん読がかなりたまっていますけど……(笑)。最近だとツイキャス(ネットラジオ)の「禍話(まがばなし)」という実話怪談の番組が好きでよく聞いていますね。
読み手のリアリティーを揺さぶる「実話怪談」の魅力
――『裏世界ピクニック』では「リゾートバイト」「コトリバコ」「山の牧場」など、エピソードごとに異なる実話怪談が取り上げられています。毎回どんな基準で選んでいるんですか。
基本的には書きたい話、思い入れのある話を選んでいるんですが、物語との絡みもありますよね。たとえば水着回(「ファイル6 果ての浜辺のリゾートナイト」)は一度しか書けないから、「リゾートバイト」を使うならここしかないとか。しかし7冊も書いていると知名度のある実話怪談はそろそろ尽きてきて、ネタに苦労しているところです。
シリーズ初期の頃は、大きなネタひとつで一話という贅沢な書き方をしていたんですよ。くねくねなんて一冊分書けるだけのネタなのに、圧縮して短編にしていますから。その圧縮具合がよかったとも思いますが、もったいなかったですね(笑)。
――物語がひとつの山場を迎えた最新作『裏世界ピクニック7 月の葬送』では、日本怪談史上“最恐”とも称される「牛の首」の怪談が取り上げられていますね。
いわゆる大ネタなので、出すならこのタイミングだなと。しかし日本の怪談にはなぜか牛モチーフがよく出てきますよね。件(くだん)もそうですし山の牧場もそう。きさらぎ駅と午頭天王を結びつけたネットの書き込みも、確か読んだことがあります。「ファイル3 ステーション・フェブラリー」できさらぎ駅のそばに牛の首が現れるのは、その記憶があったからなんです。怖い話、触れるとまずいとされる話に限って牛モチーフが出てくるのは、興味深い傾向だなと思います。
――7巻では大学のゼミで、空魚が実話怪談について発表するシーンがあります。実話怪談を文化人類学的に捉えたらどうなるか、という着眼点が興味深かったです。
なぜ空魚がここまで実話怪談に惹かれるのか、一度きちんと言語化しておきたいという思いはありました。僕も空魚と同じく文化人類学を学んだんですが、現役の学生でもなければ研究者でもないので、ゼミのシーンを書くのはものすごく手間がかかりましたね。このシーンを書くために、専門書をあらためて読んで勉強しなおしました。
――宮澤さんご自身は、実話怪談のどんなところに惹かれているんですか。
本当に誰かが体験した話だ、という部分でしょうか。フィクションと違って、実話怪談は体験者がいるということでリアリティーが担保されています。それによって読み手の現実感が揺らぐ。その感覚が面白いんでしょうね。
もっともいくら実話だといっても、起こったことをただ並べるだけでは怖くありません。語り手がさまざまな出来事を言外に結びつけたり、背景をほのめかしたりすることで、初めてぞっとするような感覚が生まれてくるんです。このことは「禍話」の語り手である、かぁなっきさんという方が指摘されていて、大いに納得するところがありました。『裏世界ピクニック7』で、空魚が実話怪談の定義について揺れているのはそのアンサーでもあります。
――ちなみに宮澤さんが生きていて一番怖いものとは?
恐怖症的なものはないのですが、そうですね、ホラー映画は苦手です。ホラー好きだからホラー映画にもたまに行くんですが、劇場が暗くなった瞬間、「自分はホラー映画が苦手だった」と思い出す(笑)。『残穢』を観に行った時なんて、平日の昼間だったせいで観客は僕一人。あんなに怖い思いをしたことはないですね。自宅でホラー映画を観るときも、そろそろ怖いシーンだなと思ったら、別のウィンドウで画面を隠しています。
SFとホラー、どちらも捨てたくない
――巻を重ねるにつれ、キャラクターの内面が掘り下げられるのも本シリーズの魅力です。最新巻では空魚たちに脅威をもたらしてきた存在・閏間冴月をめぐる物語に、ひとつの区切りがつきました。
キャラクターの心理の掘り下げについては、1巻の時点から意識しています。最初はテンプレっぽいキャラクター造形に見せておいて、徐々に先入観を裏切る要素を出すことで、「ちょっと思っていたのと違う」という感覚を読者に与えたかった。小桜の言動なんかは特にそういうところが多いかもしれません。ただ具体的にどんな反応をさせるかは、書きながら考えています。僕は理よりも情の人間で、あらかじめ詳しいプロットを作るのが苦手なんですよね。
――数々の冒険を通して、空魚と鳥子の距離はかなり縮まりました。2人はもう付き合っていると言ってもいいんでしょうか?
うーん……「予断を許さない」という表現が妥当でしょうか。空魚は家族というものにいいイメージがないこともあり、すんなり付き合って結婚して、というステップを踏めないんです。鳥子は鳥子でそうするのが当たり前だと思っている。お互いに相手の出方を見ながら、慎重にコマを進めている過程です。
――〈裏世界〉が存在する理由や怪異が出現するシステムも気になります。今後はそのあたりの秘密も明かされそうですね。
同じところで足踏みしていてもつまらないので、そろそろ先に進めないといけないなと。ここから〈裏世界〉の情報が少しずつ分かってくる、という展開になるはずです。それを怖い話として書き切るのが理想ですよね。SFとホラー、どちらも捨てたくないので。
――それは頼もしい。では、気になるシリーズの今後について教えてください。
これまでほのめかすだけだった〈裏世界〉にいる存在と、より深く関わっていく話にならざるを得ないですよね。空魚たちが正気を失わずにどうやって向こう側とコンタクトするのか。ここはSF作家としてがんばって書くべき部分だと思っています。
最近はキャラクターが増えてきたんですが、空魚はちゃんと全員の面倒を見ることができるのか。鳥子との仲はどう進展するのか。そして大学の単位は大丈夫なのか(笑)。心配は尽きません。おそらく次の巻は、鳥子メインになるはずです。閏間冴月がいなくなって、いよいよ隣にいる空魚にちゃんと向き合わないといけなくなる。おそらくそこでまた一波乱あると思います。なんとか夏頃には刊行したいですね。