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「ワクチンの噂」書評 繰り返すデマの「生態系」を探る

評者: 行方史郎 / 朝⽇新聞掲載:
ワクチンの噂 どう広まり、なぜいつまでも消えないのか 著者:小田嶋由美子 出版社:みすず書房 ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784622090526
発売⽇: 2021/11/12
サイズ: 20cm/206,22p

「ワクチンの噂」 [著]ハイジ・J・ラーソン

 コロナワクチンの接種率が短期間で8割近くに達した日本では欧米のような「義務化」の声は聞こえてこない。それでも「ワクチンを打つと不妊になる」といったデマがSNSを通じて拡散し、厚生労働省のサイトには根拠がないことを示す丁寧な説明が載っている。
 この「不妊になる」というストーリーは、半世紀以上前からさまざまなワクチンを対象に繰り返されていることを本書で知った。狙いは人口抑制にあり、特定の民族を標的にしているといった言説とセットで、著者の表現を借りれば「予測不能な山火事」のように広がる。コロナ流行前に書かれた本書では触れられていないが、コロナワクチンで不妊になるというデマに関しては、ある開発元の関係者が訴えたもっともらしい「内部告発」が一因となったことが知られている。
 こうした噂(うわさ)に正攻法で対処してもなかなかうまくはいかない。子どものはしかなどを予防するMMRワクチンが自閉症を引き起こすという噂が典型例だ。
 英国人医師が1998年、関連を示したとする論文を医学誌に発表したが、否定する研究も出て、後に撤回。データ捏造(ねつぞう)も認定され、医師資格が剝奪(はくだつ)された。にもかかわらず、元医師はその後、活動の幅を広げ「大義の殉教者」として影響力を増している。
 著者は、とかく科学的な正当性を強調するあまり、噂を信じる根底に潜む不信感や疑念に目を向けてこなかったワクチン政策にも批判的だ。ただ、反ワクチン感情は現在、政治や宗教のみならず環境保護、反化学物質といった主張とも交差しながら、その「生態系」は複雑さを増しているようだ。対話による解決とは簡単にはいかないだろう。
 巻末に収められた人類学者の磯野真穂氏による解説が確かな視座を与えてくれる。日本のHPVワクチン(子宮頸〈けい〉がんワクチン)をめぐる事実関係についても詳しい。まずはこちらから読むことをお勧めしたい。
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Heidi J.Larson 1957年生まれ。ロンドン大大学院人類学教授。ワクチン信頼プロジェクトの創設者。