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平和モニュメント、なぜ白い大観音像?

高さ25メートルの大船観音=神奈川県鎌倉市の大船観音寺

重なる聖母や女神

 「平和」のモニュメントとして、昭和期以降に全国各地に造られた巨大な仏像は多くが観音像だ。その姿は、日本の近代化に合わせて独自に形作られてきたという。なぜ観音像なのか。共通の特徴がある理由とは。『観音像とは何か――平和モニュメントの近・現代』(青弓社)を昨年10月に出版した君島彩子・日本学術振興会特別研究員(宗教美術史)に聞いた。

 多くの大観音像に共通する特徴は、女性的な顔立ちで、頭や肩を布で覆い、全身が白く塗られていることだ。君島さんはその端緒に、明治期に仏像が信仰対象としてだけでなく、美術作品としても見られるようになったことを挙げる。「観音は聖母マリアや女神のイメージとマッチし、美術の題材として人気を集めた」。観音は三十三の姿に変じて出現すると仏典で説かれており、表現の幅が広かったこともある。

 近代にふさわしい観音像は、まず日本画や洋画で描かれた。江戸時代から人気だった中国・明時代の白磁の白衣(びゃくえ)観音像も影響を与えたと君島さんはみる。「白衣観音は頭頂部のまげや肩を布で覆っている。隠れキリシタンは白磁の像を聖母マリアに見立てて拝んでおり、観音と聖母マリアというダブルイメージを強固にした」。大観音像の全身が白く塗られるのは、白磁イメージの継承だと君島さんは考えている。

見晴らしの良さも特徴的

 観音像は日本の女神像となり、日中戦争の開戦以降、護国を祈り、戦死者を慰霊するために巨大な観音像が全国各地に造られた。

 先駆けは1936年に建立された「高崎白衣大観音」(群馬県高崎市)だ。地元の実業家が「観光発展」「戦没者慰霊」「社会の平安」を発願。見晴らしの良い場所に高さ約42メートルの大観音像を造った。「胎内めぐりができて展望機能もあるこの像が原型となり、大観音像と平和のイメージを結びつけた」

 経済の高度成長期には「大船観音」(神奈川県鎌倉市)、バブル期前後には「仙台天道白衣大観音」(仙台市)など高崎と共通の特徴がある多くの白衣観音像が造られた。

 バブル崩壊から30年経ち、「世界平和大観音」(兵庫県淡路市)のように廃虚になり、国費で解体中のものもある。一方で、宗教法人化や、別の宗教法人の管理によって存続する大観音像も。君島さんは「昭和初期から経済の高度成長期に建てられた大観音像にはすでに郷土のシンボルとなっているものも多い。今後も残っていくかどうかについては、近代以降の価値を反映した『美しさ』も重要だ」と話す。(西田健作)=朝日新聞2022年2月16日掲載