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「津田梅子」書評 学問と別れ母国に尽くした矜持

評者: 須藤靖 / 朝⽇新聞掲載:2022年03月05日
津田梅子 科学への道、大学の夢 著者:古川 安 出版社:東京大学出版会 ジャンル:伝記

ISBN: 9784130230780
発売⽇: 2022/01/21
サイズ: 20cm/198,12p

「津田梅子」 [著]古川安

 近代国家建設には男子を家庭で育成する母が重要だと考えた明治政府は、賢母のロールモデル育成を目的として、1871年、女子留学生を募集した。
 6歳から16歳の5人が選ばれた中で、最年少が津田梅子である。彼女らはアメリカで10年間学校教育を受けるとともに家庭生活の体得が託された。
 梅子は子供のいない白人中産階級の夫妻に実子のように可愛がられて育つ。女学校を卒業するため、1年間の留学延長が認められた梅子は17歳で帰国した。
 しばらく英語教師を務めた梅子は、女性の社会的地位の低さ、さらにそれに対する女性自身の問題意識の欠如に驚き嘆く。そして今度は自らの意志でアメリカへの再留学を実現させた。
 24歳で入学したブリンマー大学は創設4年目の私立女子大学。良妻賢母育成ではなく、男性と全く同様の最高水準の学問教育と研究を通じて、教師や研究者を育てる機関であった。
 なかでも梅子が選んだ生物学科には傑出した教授陣がいた。実際、梅子を指導し共著論文を発表したトマス・モーガンは後にノーベル医学生理学賞を受賞したほどだ。
 梅子は優秀さが認められ、奨学生として残り研究を続けるよう学部長に勧められるも、辞退し帰国する。葛藤の末、生物学者への道を捨て母国に貢献する人生を選択せざるを得なかったのは、明治エリートの矜持(きょうじ)だったのだろう。
 悩みつつも生物学と決別した梅子は、日本の女性高等教育近代化にその人生を捧げた。育てあげた数多くの学生の一人、星野あいは梅子の後継者として津田塾大学を創立し、女性科学者育成の先鞭(せんべん)をつけた。
 本書は、新5千円札の顔となる津田梅子個人の評伝にとどまらない。彼女越しに見た女性教育近代化の歴史である。今夜放送のドラマ「津田梅子」(テレビ朝日系)と合わせて、梅子が日本社会の未来に託した願いを読み解いてほしい。
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ふるかわ・やす 1948年生まれ。科学史家。元日本大教授。著書に『科学の社会史』『化学者たちの京都学派』など。