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吉本ばななさんの「ムーンライト・シャドウ」を読み、大木亜希子さんは逆境から立ち上がる強さを学んだ

「ムーンライト・シャドウ」が収録されている角川文庫の『キッチン』

 私は作家になる以前、10代で一度、女優としての夢に破れたことがある。

 14歳で大手芸能事務所に所属し、華々しくドラマデビューを果たし、すぐスターになれると思ったが不発に終わったのだ。

 当時の所属事務所は、なにも悪くない。

 彼らも彼らなりに私のことを精一杯、売り込もうとしてくれたのだろうから。

 (そりゃあ、彼らの方針に一部納得のいかないこともあったが、概ね、芸能界なんて、そんなものだ)

 堀北真希に、戸田恵梨香。

 当時「花の1988年生まれ」と呼ばれる一個上の学年の女優が一斉に活躍を始めた頃で、私も彼女達と同じ学園ドラマに私も出演させてもらうなど、幸運なデビューを飾った。

 しかし、その先の「おかわり」が私にはなかった。

 「おかわり」というのは、事務所の力で出演したドラマのプロデューサーから、今度は実力が買われて別の作品で再オファーがくることを指した業界用語である。

 民放キー局すべてのドラマ出演を一周したのに、次のチャンスには繋げることが出来なかった。

 「これはどうやら、これ以上昇りつめるのは、ちょっと本当に難しいかもしれない」

 完全にそれを実感したのは、18歳の終わりであった。

 当時の私は大学に進学することもなく、ニートのような生活をおくっていた。

 時々、恩情で与えられたオーディションを受けていたが「どうせ受からないだろう」と思いながら受けていたので、当然のようにほぼ全て落ちた。

 心のどこかで、「いつか花開くのではないか」と期待もしていたが、同年代の女優がバンバンと売れていくなか、自分だけ居場所が見つからなかった。

 それでも、いつチャンスが巡ってくるか分からないから一応の努力は続けていた。

 体重をキープするため毎日早朝に起きて、自宅から3駅分ストイックにジョギングし、水筒に入れておいた熱いプーアール茶を途中の川沿いで飲み、なかなかうまくいかない人生を悔やんでは泣いた。

 昼には市民プールで泳ぎ倒して減量に励み、そこから夕方までライバル女優達が出演している邦画を観まくる。

 夜には業界人の集まる会食に向かい「事務所の力を借りずに自力で仕事を獲得しよう」と目論む、あまりにも孤独で混沌とした日々だった。

 当時は父を亡くして間もないこともあり、「夢」や「努力」という綺麗事だけではなくて、経済的にもどうにか現状を立て直さなければいけなかった。

 しかし、残酷なほど状況は改善されない。

 その頃には働いて得た収入も尽きかけていた。

    ◇

 その頃、ギリギリの精神状況が続くなかでも、「本を読めば女優活動に生きるかも」という思いから、たくさんの小説を読んでいた。

 というか、暇な時間を埋めるための手段が、あまり金のかからない「小説を読むこと」くらいしかなかった。

 ある時、吉本ばななの「ムーンライト・シャドウ」という小説が収録された本を書店で手にした。

 なぜ手にしようと思ったのかは覚えていないが、とにかくその頃の私はいつも頭がボーッとしており、辛い現実から逃げたくて疲れていた。

 ふと、「この作品を読めば何か状況が変わるかもしれない」という不思議な予感が芽生えたかもしれない。

 小説の主人公はさつきという、交通事故で恋人を失ったばかりの女性だった。

 最愛の人を失い途方に暮れる彼女は、せめてジョギングでもして哀しみを紛らわせようと、日々、川沿いを一人で走っていた。

 ある時、川を眺めながら橋の上で熱いプーアール茶を飲んでいると、「うらら」と名乗る不思議な魅力を持った女性と出会う。

 うららは、さつきに言った。

 「なに茶? あたしも飲みたい」

 突然に声をかけられて驚いたさつきは、思わず川に水筒本体を落としてしまう。

 そんなアンラッキーな出会いであったが、悪いことだけではなかった。

 それから数日後、うららはさつきの家に電話をかけてきて言ったのだ。

 「駅前百貨店の五階の、水筒売り場の所でね」

 彼女はさつきの水筒を弁償してくれるというのだ。

 二人は翌日、百貨店に向かう。

 そして、つやつや光る白い魔法瓶をさつきに買ったあとで、うららは言った。

 「あさって、朝の五時三分前までにこの間の場所に来ると、もしかしたらなにかがみえるかもしれない」

 この間の場所というのは、さつきとうららが出会った橋の上のことだった。

 「なにかってなに? どういうもの? 見えないこともあるの?」

 うららの言うことが理解できず、たくさんの疑問を投げつけるさつき。

 しかし、彼女は微笑むばかりで具体的なことは何ひとつ教えてくれなかった。

    ◇

 兎にも角にも、うららの言いつけを守り、さつきが約束の日時に橋の上に行くと――そこには亡くなったはずの恋人(のかげろう)が川の向こう側に立っていた。

 それは、100年に一度の割合で偶然が重なり合って発生する「七夕現象」と呼ばれるものだった。

 その現象に確実性はなく「かげろう」が全く見えない人もいて、全ての偶然が重ならなければ起きないのだと、うららはさつきに優しく説明した。

 さつきは「亡くなった恋人はもう戻ってこない」という現実をそこで受け入れると、泣いてしまった。

 そして、たとえ「かげろう」であっても最愛の恋人の姿をそこで見つめたことで、そこから新たな一歩を踏み出すことに決めるのだった。

 物語のなかで、私が忘れられないセリフがある。

 七夕現象を終えたあと、うららがさつきに言った言葉だ。

 「別れも死もつらい。でもそれが最後かと思えない程度の恋なんて、女にはひまつぶしにもなんない」と。

 本著を読み終えた時、私は「あぁ、人生というものは本当に何ひとつ上手くいかねぇな」と心の底から思った。

 なぜこんなにも上手くいかないのだろう。

 いつも何も上手くいかず、最愛の人とは予期せぬタイミングで別れる運命で、神様は全く守ってくれない。保証もない。

 立ち上がることさえ困難な出来事が、平気で巻き起こる。

 しかし、だからこそ人は、立ち上がれる強さを持てるかもしれない。

 辛いけれど、哀しいけれど、それが運命というものなのだと腑に落ちた。

 本著を読み終えた時、私は幸せになりたいと思った。

 そしてさつきが物語の終盤に下したある決断のように、私もいつまでも同じ場所に佇んでいるのではなくて、人生に能動的に強くなりたいと思った。

 それから私は大手アイドルグループでアイドルになるチャンスを掴み、それから流れついたまま、現在は作家業でなんとか食いつないでいる。

 どうにか、こうにか、物事は進んでいる。そして、今はもう良いことも悪いことも永遠には続かないことは、もう分かっている。

 「喪失」と「再生」。そこから立ち上がる強さが、人には元々宿っている。

 そんなことに気づかせてくれたのが、「ムーンライト・シャドウ」だった。

 私の人生のおいて、忘れられない作品である。