「歌の構造には文化の壁を越えた普遍性がある」ということが科学的に明らかになったのはつい最近、2019年のことだ。Science誌掲載のUniversality and diversity in human song(人類の歌の普遍性と多様性)という論文で報告された。世界60の地域から歌を集めてデータベースを作成し、解析を行った。解析により、歌は、ラブソング、ダンスソング、子守唄、癒しの歌のクラスターを形成することがわかった。
そして、これがなにより重要だと思うのだが、異なる文化的背景をもつ者が、データベース上にある、接触したことのない文化の、聞いたことのない歌を聴いても、どういう機能を持つ歌かを言い当てることができた。「音楽は世界共通の言語」であることが立証されたのだ。
他にも音楽に関する最近の研究の進歩は目覚ましいものがあって……。などと続けようと思ったが、そういう解説記事を依頼されたわけではなかった。「私と音楽」について書かなければならない。さて、困った。もちろん音楽は聴くが、なにかを語れるほどではないからだ。J-POPからロック、クラシック、ゲーム音楽まで、広く浅く。いや、広いとは言えない。こだわりがないから偏りがないだけ。
困りながら、このコーナーの先輩たちの文章を拝見して気付いた。あ、音楽そのものじゃなくて、音楽に関する自分のエピソードを書けばいいのか。それならなんとかなりそうだ。
それでも大いに悩み、結果として選んだアーティストが奥田民生だった。彼はユニコーンのヴォーカルとして、のちにソロアーティストとして、私の思春期から青春時代を伴走/伴奏してくれたように感じるからだ。
90年代中頃に大学生になった私は、高校までほとんど行くことのなかったカラオケボックスに行くようになった。好んでユニコーンを歌った。歌詞に叙情とユーモアがあって旋律的。気負うこともなく、照れもなく、気持ちよく歌うことができた。
と、当時は思っていたのだが代表曲である「大迷惑」にしても、マイホームを手に入れたサラリーマンの単身赴任の悲哀が学生に実感できるわけもなく、それを面白おかしく感じていたのは、紛れもなく背伸びだった。
「人生は上々だ」も好んで歌った。私は比較的高い声で歌うことができた。X JAPANの「紅」を歌うこともできたのだけれど、「人生は上々だ」にチャレンジして笑われながら声帯を痛める方が気持ちよかった。
「つくば山」は民生がソロ活動に移行してから間もなくの歌だが、10年におよぶ長い大学/大学院生活を終え、つくば市にある農水省管轄の研究所に職を得た私は、聖地巡礼のつもりで筑波山に登った。春霞の山頂から、「つくば山」を歌ってみて気付いたのは、これは山麓から筑波山を見上げる歌だということだった。いや、ひょっとしたら筑波山は歌の情景のはるか遠くにポツンと含まれるだけなのかもしれない。
そして「息子」。1995年のリリース当初より好んで聞いていた曲だが、自分にも息子ができて、「半人前がいっちょ前に 部屋のすみっこ じっとみてやがる」から始まる歌詞を以前とは違う視線でみれるようになった。今になって思うのは、当時は親としてではなく、眺められる「息子」の文脈でこの歌を聴いていた、ということだ。
お気に入りの歌は人生の様々な局面で繰り返し現れて、異なる側面をみせてくれる。今回のエッセイを執筆して改めて気付かされた。