「かくも甘き果実」書評 ゆかりの女性が語る八雲の旅路
ISBN: 9784087735178
発売⽇: 2022/04/05
サイズ: 20cm/317p
「かくも甘き果実」 [著]モニク・トゥルン
ラフカディオ・ハーン、またの名を小泉八雲として日本でもよく知られる男は生地レフカダ島(現ギリシャ領)からどんな変遷を経て日本の地を踏み、何を成したか。本書は紙に残る史実を踏まえつつ、彼にゆかりの深い三人の女性が口々に積年の想(おも)いを語るというフィクションの力を用いて、ハーンの知られざる一面を浮かび上がらせた小説だ。
まず生母のローザは、英国駐留軍の夫との出会いが抑圧的な父からの解放だったと語り出す。しかし地中海の気候に親しんだ身に、夫の出身地ダブリンは陰うつ。婚家に歓迎もされず、幼い息子を置いての帰郷を余儀なくされる。読み書きのできないローザが託せるのは口述を基にした手紙だけだ。「あの子はわたしを見つけに来てくれるでしょう」
続いてはハーンの作家としての修業時代、アメリカはシンシナティで下宿の料理人をしていたアリシアが登場する。解放奴隷の彼女はその来歴と生涯をハーンにせがまれて話すうち、男女の仲に。しかし結婚生活は波乱に満ち、ハーンは東洋へと旅立ってしまう。
三人目は士族出身の小泉セツ。日本の民話を教え、やがて彼と四人の子をもうけた彼女は、夫の没後、哀惜の念を吐露する。「八雲、あなたと旅をすることは、一時もあなたの傍(そば)を離れないことでした」
言語と文化の違いを貪欲(どんよく)に超越し未知の地へと移動を続けたハーンに、女たちはケアを惜しまず、腹を満たしてやり、生活の基盤を整えた。歴史書に記されずともそこには愛や葛藤や諦念(ていねん)が横溢(おういつ)した。著者トゥルンはそうした声を本書で解き放つ。偉人となった男の近傍にいた存在に、光を当ててみせたのだ。
ハーンはそれぞれの女性からパトリシオ、パット、八雲と呼ばれるが、その数だけ姿を変え、複層的なイメージで私たち読者の前に現れる。謎めくラフカディオ・ハーンへの興味は、本書を通じていっそう深まることになるだろう。
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Monique Truong 1968年、当時の南ベトナム生まれ。6歳で米国に移住。著書に『ブック・オブ・ソルト』など。