数年前、『透明な夜の香り』という、天才的な調香師が登場する小説を書いた。ありがたいことに続編も刊行することができ、第三弾となる『燻(くゆ)る骨の香り』の最終回もつい先日書き終えた。
その調香師の嗅覚(きゅうかく)は人間離れしたものだったが、実は私自身も鼻はわりといい方だ。ただ、鼻がいいことは得よりも損をすることが多いと思う。まず電車や飛行機やタクシーで酔いやすい。他人の強い香水や柔軟剤の匂いで頭が痛くなる。雨の日はよりひどく、吐き気までもよおす。梅雨から夏にかけてはもう地獄だ。無数の人間の匂いのついたタオル類を身体が拒否するので、マッサージや整体にも行けない。なにより、鼻がいいことを告げると人に恐れられる。私も含めて自分の匂いは把握しにくいものなので、嗅がれていると思うと落ち着かなくなるのはわかる。でも、嗅いでいるわけではなく、私の意思に拘(かか)わらず入ってくるのだ。
不思議なことに体調の悪い日はより嗅覚が鋭くなる。風向きにもよるが、背後から見知った人がやってくると振り返らずに誰かわかるくらいだ。匂いで酔うと、より体調が悪くなるので、なんて迷惑な感覚だとうんざりしていた。
五月は気候の変動が激しかった。毎年、不調が続く季節だ。ちょっとしんどいなと思っていたが、無理をしてジムに行った。同じ教室の、最も遠くにいる人の肌に染みついた煙草(たばこ)の匂いがとどいた。良くないな、と思ったら案の定、気分が悪くなってしまった。しばらく休んで、着替えようとロッカーから服をだしたら、ふっと一緒に暮らしている猫の姿が脳裏によぎった。服に顔を近づける。いつも彼が座っている、私のお腹(なか)から腰の辺りに柔らかい匂いがついていて、思わず笑みがもれた。普段の嗅覚では感じとれない匂いが私の身体を安心感でゆるめてくれて、早く家に帰ろうと思った。体調不良の時の嗅覚の鋭敏さは、安心する場所にいたほうがいいということを教えてくれているのかもしれない。=朝日新聞2025年6月4日掲載
