英スコットランドの労働者階級出身で、ニューヨークを中心に活躍するファッションデザイナーでもある。カルバン・クラインなど、誰もが知るブランドで華々しく成功を収める一方、10年間、ほぼ誰にも知らせず、ひそかに本書を書き続けた。作家としてのデビュー作で、英国の文学賞、ブッカー賞を受賞した。
不況のあおりで失業者があふれていた1980年代のグラスゴーで、著者は貧困のうちに子ども時代を過ごし、16歳の時、アルコール依存症だった母を亡くした。本書には、そんな自身の体験が反映されている。
少年シャギー・ベインは、離婚して一層アルコールにすがるようになった母、アグネスと暮らす。家を出た姉や兄とは違い、美しさを誇りに生きる母を一途に思い、懸命に生活を立て直そうとするが、徐々に破滅へと近づいていく。近隣の住民は飲んだくればかり。時にアグネスに寄り添い、時に酒に引きずり込む。「私自身とシャギーは違う。でも、私が心から愛し、理解している人々やコミュニティーを描いています」
元々は発表するつもりもなかったという原稿を、なぜ10年も書き続けたのか。「最初の動機には子ども時代をめぐる『沈黙』があった」と話す。シャギーは周囲のいう「男らしさ」にもなじめない。
「若い労働者階級の男性たちは、時に言葉にならない、誰にも相談できないトラウマや複雑な感情を抱えている。私がキャリアの頂点にいながら書き始めたのも、長く内に抱えてきたものを理解し、手放すためだったと思う」
母子の残酷物語、ではない。グラスゴーの住人たちにはユーモアもしたたかさもある。「子どものころに戻れるなら、戻りたい。つらいことは多かったけれど、あれほど人間味あふれる場所もなかった」(文・興野優平 写真・Martyn Pickersgill)=朝日新聞2022年6月18日掲載