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「くるまの娘」書評 小説だけが書ける愚かさと救い

評者: 金原ひとみ / 朝⽇新聞掲載:2022年07月16日
くるまの娘 著者:宇佐見 りん 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784309030357
発売⽇: 2022/05/12
サイズ: 20cm/157p

「くるまの娘」 [著]宇佐見りん

 重い濃霧が立ち込め、湿気のあまり息ができず、酸欠で手足は思うように動かせない、そんな重苦しさが淡々と描かれた小説だ。
 高校生のかんこは両親と三人で暮らしている。兄は家を出て結婚し、弟は今年の春から祖父母の家に住むようになった。脳梗塞(こうそく)の後遺症により、アルコール依存症を発症し情緒不安定になった母と、母にも子供達(たち)にもモラハラを繰り返す成熟しきっていない父。かんこには気だるさ、朝起きられない、などの鬱(うつ)の症状が出ているが、誰にも救いの手は求めない。
 父方の祖母が亡くなり、子供達が小さい頃一家でよくした車中泊を経て、三人は車で実家に向かう。実家に到着すると兄と弟も揃(そろ)い五人家族が集合するが、微笑(ほほえ)ましいやりとりがあったと思ったら、すぐに不穏な空気が立ち込め破綻(はたん)、を繰り返す。「助けるなら全員を救ってくれ、丸ごと、救ってくれ」。彼女は自分が被害者だとも、両親が加害者だとも思っていない。加害や被害が家族そのものに内包されていると信じている。
 恋愛や家族など濃密な人間関係は時に宗教のようで、それは社会にもたらされるものとは桁違いの安心感を与えてくれる。倫理や科学では導き出せない教えや契約がそこでは機能していて、その外側で生きることは死と同等の意味を持つのだ。主人公に報われてほしい、という願いもまた、報われるとは何なのかという問いに変えてしまう。
 元来、人を救うとはどういうことだったのか。自己責任が横行し、あらゆる症状に病名や名前がつけられ、レッテルを貼られる現代に於(お)いて、かんこは全てを許す神のようだ。この世界に於いて、毒親からは逃げるべきだ、という時代的正しさは通用しない。本書に書かれているのはまさしく小説だけが間違えることなく書ける間違い、愚かさであり、圧倒的正しさの前にひれ伏すことしかできない民を、本書は等しく救うだろう。
    ◇
うさみ・りん 1999年生まれ。「かか」で文芸賞。「推し、燃ゆ」で芥川賞を受け、単行本がベストセラーに。