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「アウシュヴィッツのお針子」書評 収容所の知られざる史実を紹介

評者: 保阪正康 / 朝⽇新聞掲載:2022年07月23日
アウシュヴィッツのお針子 著者:宇丹 貴代実 出版社:河出書房新社 ジャンル:歴史・地理・民俗

ISBN: 9784309254456
発売⽇: 2022/05/27
サイズ: 19cm/361p

「アウシュヴィッツのお針子」 [著]ルーシー・アドリントン

 ユダヤ人の大量虐殺の場であったアウシュビッツ収容所、そこにはさまざまな人間悲劇があった。幾多の時間を経ても、その現実は検証、継承されなければならない。本書は従来の書にない史実の紹介である。
 アウシュビッツには、婦人服仕立て作業場(ファッションサロン)があった。ナチス親衛隊員の妻たちのための服装作業場。設立したのは所長ヘスの妻である。
 そこに集められたお針子たちが生き抜く闘いの姿を服飾史研究家の著者は、証言や資料をもとに描きだす。初めに、お針子の中心であるユダヤ人女性たちの個人史が説かれる。ナチス権力が登場する前の各国での生活、意識はありふれたヨーロッパの庶民の実像だ。女性たちの家族写真が何葉か掲載されているが、その団欒(だんらん)がいかに破壊されたかが裏付けられる。
 本の前半の、ナチスによるユダヤ人家族の解体、被服産業からのユダヤ人追い出し、制服での支配と差別の描写には、著者の目が行き届いている。生き延びた女性の証言が細部に及ぶ。収容所での1千日は、1日に1千回死んでもおかしくないと思っていた、という証言などは貴重である。
 後半では、お針子たちの生活の実態、彼女たちの団結、助け合い、抵抗組織の結成、逃亡計画などが語られている。レジスタンスと接触してくれる親衛隊病院の看護師などは、これまで知られていないエピソードである。収容所長ヘスの側の動きも紹介している。作業場の試着室でヘスの子どもに、いつかあなたたちは絞首刑になるよと囁(ささや)くお針子がいる。子どもは顔を出さなくなったという。
 監視人の中には、非人間的行為に苦しむ者がいたとの証言もある。お針子たちは収容所のあらゆる仕組みに通じることで、自らの命を守る知恵を学んだ。気まぐれで人が殺され、あるいは助けられる、と著者の語るエピソードを読むと、理を超えた虚無がナチスの病だったとわかる。
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Lucy Adlington 英国の服飾史研究家。服飾と社会の関わりを研究し、ノンフィクションなどを執筆。