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「死刑について」書評 廃止論へ移る思索の変遷たどる

評者: 宮地ゆう / 朝⽇新聞掲載:2022年08月06日
死刑について 著者:平野 啓一郎 出版社:岩波書店 ジャンル:刑法・刑法各論

ISBN: 9784000615402
発売⽇: 2022/06/18
サイズ: 19cm/124,7p

「死刑について」 [著]平野啓一郎

 今から12年前、各国の死刑制度を取材したことがある。編集の段になって死刑の是非を巡り、部内で激しい議論になった。死刑はその人の奥深くにある価値観とつながり、それは容易に揺らぐものではないことを感じた出来事だった。
 それだけに、死刑の存置論者だった著者が、しだいに廃止論へと考えを変える過程は興味深い。本書は、著者の思索の変遷を丁寧にたどりながら、死刑を巡る根源的、普遍的な問いを投げかけている。
 世界的に見れば、日本は、死刑を維持する少数派の国だ。国際人権団体の調査では、死刑制度を廃止、または事実上廃止した国は計144カ国に上る。一方、日本の世論調査では約8割が死刑を容認し、死刑への支持はいまも根強い。
 なぜ日本では死刑が支持され続けるのか。
 著者はいくつかの要因を指摘するが、その一つが、人権教育の失敗だ。日本で行われる「相手の気持ちになって考えましょう」という感情面からの人権教育では、共感できない人の人権は権利と捉えにくい。どんな人でも憲法で基本的人権が保障されているという理解も、心許(こころもと)ない。
 犯罪被害者に対しても、犯人への憎しみに共感するばかりで、死刑があれば被害者支援は足りているかのように、十分なケアがされてこなかったと指摘する。
 本書は、死刑の是非だけでなく、この制度を維持する社会に光を当てることで、失われているものの姿を浮き上がらせる。
 著者の長編小説『決壊』(2008年)に、ある少年がこう問いかける場面がある。「なんで人を殺しちゃいけないんですか?」。大人たちは答えに窮する。
 著者は本書でこの問いにこう答えている。「第一には、憲法があるから」。唐突にも聞こえるが、これがいまの社会を考える上で抜け落ちている視点だとわかる。感情ばかりがあおられるいま、原点に立ち戻る大切さに気づかされた。
    ◇
ひらの・けいいちろう 1975年生まれ。小説家。1999年に「日蝕(にっしょく)」で芥川賞。著書多数。