1. HOME
  2. コラム
  3. ブックエンド
  4. 桑原真夫「フランソワーズ・パストル 遠藤周作 パリの婚約者」 愛憎という言葉そのもの

桑原真夫「フランソワーズ・パストル 遠藤周作 パリの婚約者」 愛憎という言葉そのもの

 『沈黙』などの小説で知られる作家・遠藤周作(1923~96)は、フランス留学から53年に帰国する直前、現地の7歳年下の女子学生と交際していた。遠藤が残した手紙や日記で明らかになっている。

 その女性は数年後に遠藤が日本人女性と結婚したと知り、日本語を勉強した上で66年、フランス語講師として北海道大学に赴任する。当時の教え子が新たに見つかった遠藤の手紙などをもとに、評伝をまとめた。桑原真夫『フランソワーズ・パストル 遠藤周作 パリの婚約者』だ。

 遠藤の手紙は、パストルとは婚約したと言っていい関係だったことを物語る。興味深いのは、遠藤の裏切りの後も二人の交流が続いていたことだ。来日した彼女に遠藤は、出したばかりの『沈黙』をフランス語に翻訳するように勧めた。遠藤なりの罪の償いだったのかもしれない。

 だが、パストルが簡単に納得するはずもなかった。おそらく69年に遠藤宛てに書いた未投函(とうかん)の手紙は、愛憎という言葉そのものだ。「あなたは不誠実で、本当のことを言えない弱い人間だった」「ウヌボレヤで、悪意があった。私は本当に精根尽き果ててしまった」と罵倒しながら、「本当にあなたを愛していた」と思いを吐露している。

 パストルは70年に帰国し、乳がんのため翌年、41歳で亡くなる。『沈黙』の翻訳は第7章、全体の約8割まで完成していた。(村山正司)=朝日新聞2022年9月3日掲載