ISBN: 9784622090878
発売⽇: 2022/07/21
サイズ: 20cm/300,26,5p
『中国の「よい戦争」』 [著]ラナ・ミッター
戦争を肯定的になど捉えられるはずがない。しかし、アメリカでは第2次世界大戦がヨーロッパとアジアを解放した「よい戦争」として記憶され、中国の習近平国家主席は抗日戦争を、「日本軍国主義が中国を植民し奴隷化しようとした企(たくら)み」を粉砕した「偉大な勝利」であり、「民族の恥辱を洗い流し、わが国の世界における大国の地位をあらためて確立した」と誇らしく宣伝する。
冷戦期、中国の公的な歴史は共産主義的、革命的、反帝国主義的なナラティブ(物語)が中心だったのに対して、経済的に成功した中国共産党政権は、中国を第2次世界大戦で「勝利を収めた強国」かつ「道徳的に公正な国」と位置付けようとしていると、著者のラナ・ミッターは指摘する。近代中国史、現代中国政治を専門とする彼は、政策文書や政治家の発言だけでなく、歴史学者の議論、映画、テレビ番組、オンライン・コミュニティ、博物館などを通して見えてくる民間の歴史認識も研究の対象とする。
第2次世界大戦の勝利に決定的な役割を果たした我こそが、今日の国際秩序の「創造に立ち会った」というナラティブを作ろうとする国家は、戦争のはじまりが真珠湾攻撃ではなく、柳条湖事件(満州事変)であることを強調する。映画製作者はプロパガンダに無意識のうちに刺激されたのか。2015年、中国で公開された映画「カイロ宣言」のポスターにスターリン、ローズヴェルト、チャーチルと並べて、毛沢東を描いた。連合国軍の中国戦区司令官は蔣介石であり、毛沢東もスターリンも参加していないというのに。
一方、中華民国史研究が盛んになり、蔣介石の国民党政権の抗日戦争での貢献が評価されるようになった。ネット空間には「国粉」(国民党の「粉」=ファン)が現れ、戦争遺物を収集し巨大な民間博物館を建てた経営者は、戦時中の中国の抵抗の中心地は共産党の革命根拠地の延安ではなく、国民党の臨時首都となった重慶だと主張した。
恐ろしいことに、12年の映画「一九四二」が描く300万人もの餓死者を出した1942年の河南大飢饉(ききん)は、「愛国的あるいは国家主義的な価値がほとんどない憂鬱(ゆううつ)な物語」として歴史の闇に葬り去られていた。共産党政権下、さらに大規模な餓死者が出た50年代後半からの大躍進政策は依然ほとんど語られない。
いかにして、私たちの歴史的記憶は現在の時代環境と関わりながら構築されているのか。複雑化する国際情勢や国民心理を読み解く鍵がここに隠されているのかもしれない。
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Rana Mitter オックスフォード大教授。同大中国センターのディレクター。本書は「フォーリン・アフェアーズ」誌などの年間ベストブックに選ばれる。著書に『五四運動の残響』など。