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せきしろさん「放哉の本を読まずに孤独」インタビュー 悲観的でも、押しつけでもない孤独に惹かれる

せきしろさん

解説本にはしたくなかった

――放哉の句を起点に、せきしろさんのエッセイと写真があり、読んでいるとどちらが放哉でどちらがせきしろさんなのかがわからなくなる、不思議な感じを覚えました。執筆はどのように進めていったのでしょうか。

 放哉の句を何回も読み込んで、出てきた単語や背景にちなんだこととか、強烈に思い出したことを中心に書きました。放哉の句の解説本にはしたくなかったんです。極端な話、句がなくても、エッセイだけでも読めるようになっています。放哉を知らないと出てくる俳句が放哉の句なのか、僕の句なのか、分からないで読んでいる人は多いと思います。

 エッセイより句の方が目立つ感じが理想ではありましたけど、放哉の句を知らなくても読めば面白いというところも意識しています。「放哉が好きだ」っていう人のことももちろん意識していますし、そのバランスは考えましたね。

――数いる自由律俳人の中で、どうして放哉だったのでしょうか?

 一昨年、春陽堂書店から山頭火の全集(『新編 山頭火全集』)が出て、(川柳作家で詩人の)柳本々々さんと対談をしたんです。その時に「僕は放哉の方が好きだ」みたいな話をしたら、ウェブ連載のお話をいただいて。この本はそれをまとめたものです。

――序文で「私が真似したくなったものは何か? しかし、真似ができなかったものは何か? それらは全て尾崎放哉の俳句である」と書かれています。

 放哉の「孤独」っていう部分には惹かれますよね。孤独だけど、句は暗いわけじゃない。かといって、明るいわけでもない。その絶妙なバランスが好きです。決して悲観的でもないし、「孤独だ!」って押し付けているわけでもない。「まあ、いいか」みたいな部分もあると思うんです。もしかしたら「こんな孤独にはなりたくない」という人もいると思う。放哉は、いろんな人の孤独を助けてくれるという気はしますね。

うそをついたやうな昼の月がある
海が少し見える小さい窓一つもつ尾崎放哉

 僕が自由律俳句を自由に書いたり、読んだりするのは、放哉のおかげ、放哉ありきなので、単純にありがたい存在でもあります。自分が継承できるのかは分からないですけど、少しでも近づきたくはあります。作る方としては、最初は「定型よりルールがなくて良い」と単純に思ってましたけど、作品としては、実はとても難しい。だから飽きることなくできているんじゃないですかね。

自由律俳句しかなかった

――自由律俳句に出会ったのも、高校の国語便覧で見た放哉の〈咳をしても一人〉だったそうですね。ご自身で始めたきっかけを教えてください。

 それしかなかった、みたいなところはありますね。結果的に今、書く仕事をしてるんですけど、最初は書くことにそこまで貪欲ではなくて。でもおもしろい話とか哀しい話とか、エピソードやフレーズはたまっていく一方で、それが年とともに増えるじゃないですか。例えば紅葉を見ても、昔は何とも思わなかったのが「きれいだ」と思うようになったりする感情がたまっていって、でもアウトプットする手段が何もなかったんですよね。そのときに自由律俳句のことを思い出して、本屋さんに行って本を買ってきて。このかたちが一番自分に合ってるんじゃないかと思ったのが最初です。

――俳句でもなく短歌でもなく?

 短歌は僕にとっては長かったんですが、俳句は好きでした。でも当時20代後半だったので、俳句の「なり」とか「けり」とか古い感じ、こうしろっていうルールが煩わしかったんでしょうね。もっと自分の思ったことを表現したかったというのはありました。

壊れた傘持って不自由だ
地下鉄の出口で切り取られた予期せぬ青空せきしろ

 僕は現代詩も読むんですが自由律俳句は、現代詩に近いのかもしれないと勝手に思ってます。なんでこんなことを書いているんだ、って言われても、明確なことって言えないと思うんですよ。別にわからなくてもかまわない。感覚の世界なのかもしれない。僕が考えてる定義が正解だとは思わないし、それぞれがそれぞれのことをやって、切磋琢磨するのが一番いい。自由律をやっている人ってそれぞれバラバラなことをやっている感じがあって、それはそれで心地よいですね。

――せきしろさんは又吉さんに自由律俳句を教えたことでも知られています。『カキフライが無いなら来なかった』(幻冬舎)など、自由律を収めた共著も3冊出版されています。

 教えることはしてないんですよ。極論、自由律俳句は教えてもしょうがないので。好きか嫌いか、興味を持つか持たないかだと思うんです。そういう中で、すんなり「おもしろいですね」となったのが又吉くんで。彼は彼なりに過去のものを読んで、僕は僕なりに勉強して、本というかたちになったという感じですかね。

 彼がどう思っているのかは分からないですけど、あの本が、彼が世に出る一つのきっかけにはなったと思ってるし、そのために出したところもあったので、結果的に一緒にやろうと言ってよかったと思います。

句集を出して静かにしてます

――せきしろさんは「公募ガイド」で自由律俳句の公募や講評もなさっています。

 「公募ガイド」で集まるのは2000句くらいですかね。1人でたくさん出される方もいるし、学校の授業の一環で、クラス全員で出してくることもある。自由律俳句を普及させたいなんて気持ちは一切ないですけど、年下や初心者の人たちから「自分の句はどうですか」と聞かれると、頑張ってもらいたいしアドバイスはします。

――『放哉の本を読まずに孤独』で、はじめて自由律俳句に触れるという方も多いと思います。

 「自由律俳句があるよ」「放哉という人がいるよ」っていうことは、知ってほしい。思ったより知られていないし、放哉を「ほうさい」って読めない人もいますよね。短歌、俳句、自由律俳句、川柳の違いを知ってほしいですね。

 (短詩の用語を)「この人ずっと間違って言ってるな」とかあるじゃないですか。指摘はしないんですけど、ただ、電車の中とかで話されると他の人が聞いてる。仲間だと思われたら嫌だなとか思うんで、たとえば「短歌が一句書いてあって」とか言われたら、「ああ、一首書いてあったんだ〜!」って言い方はします。そうすると、周りの人が「あの人は分かってるんだな」って分かってくれる。

――3年後、5年後、こういう句を書いていたい、というお考えはありますか?

 5年後には死んでいるかもしれない。自分のことをあんまり考えたことがないんですよ。……じゃあ、句集を出します。まだ単独の句集は出したことがないんです。句集を出したら、あとは静かにしています。