前2回にわたり、自分が優柔不断で一番好きなものをなかなか決められないと書いたけれど、何事にも例外はある。
それが今回のコラムで書きたいことだ。
小さい頃から、外で遊ぶのは好きだったけれど、できることなら家にいたい子供だった。それでいて退屈することが大嫌いだったから、ゲームや漫画が僕にとっての2大欲求になっていった。
とりわけ漫画はゲームよりも安価で、運が良ければ買い物のついでにぽんと買ってもらえる。しかも、何度読み直しても面白い。最も手軽で身近にある娯楽だった。
当時、5つ年の離れた兄が買ってくる漫画はちょっと難しくて、僕には理解できない内容であることが多かったから、自然と友人に面白い漫画はないかと訊いてまわるようになる。そんな中で、近所に住んでいたA山くんがおすすめしてくれたのが、藤田和日郎(かずひろ)先生の『うしおととら』だった。
最初に聞いた時は、「なんだその微妙なネーミングは」と辟易したものである。一聴して内容が想像できず、顔をしかめた僕に、A山くんは凄まじい熱量で「絶対面白いから」と断言していた。その言葉に半信半疑のまま、僕は『うしおととら』の1巻を手に取ることになる。
結果的に、A山くんは正しかった。僕はその日、相手の都合などお構いなしに「うしおととら」を日が暮れるまで夢中で読みふけっていた。A山くんの親御さんに「そろそろ帰りなさい」と言われるまで、図々しくも彼の部屋に居座っていた僕は、家に帰るなり母親に頭を下げて「欲しい本があるんだ」と懇願したのを鮮明に覚えている。
『うしおととら』は、闇に蠢く化物(ばけもの)を打ち滅ぼす破邪の刃、獣の槍を手にした中学生、蒼月潮(あおつき・うしお)と、その槍に封じられていた大妖怪とらが、人と妖怪を恐怖の淵に叩き落す最強の化物、「白面の者」を退治するというストーリー。アニメ化もされているから、ご存じの方も多いだろう。
何も知らない潮は、獣の槍を手にしたことにより妖怪の存在を知り、そして自身や家族にまつわる謎が徐々に明かされていく。一方のとらも、潮と関わることで人間というものを徐々に理解していき、いつしか両者の間には強い絆が生まれていく。互いに互いを「退治する」「食ってやる」と罵り合う2人のコミカルなやり取りが随所に挟まれ、人間よりも人間味のある妖怪たちとの交流や、多くの仲間との出会い、別れを通して成長していく潮の姿には、子供ながら強く憧れたものである。
また、脇を固めるキャラクターたちも個性的かつ様々な痛みを抱えており、僕が特に気に入っているのは符呪師の鏢(ひょう)という人物。彼は妻と娘をある化物に殺害され、その復讐のために名前を捨て、傷だらけの身体で戦い続けている。物語の終盤、彼は家族の仇である化物と対峙することになるのだが、己の命をも顧みず、失った家族のために仇敵を討たんとするその姿には涙を禁じ得なかった。
彼以外にも、多くのキャラクターたちが自らの過去と向き合い、苦しみを乗り越えて「白面の者」と戦うというクライマックスは、多くの漫画の中でも屈指の名場面だ。そして何より、潮ととらがたどり着く大団円はまさに感動の嵐。最高の読後感を味わえる。
これまで目にしてきたあらゆる物語の中で、僕はこの作品以上に「人と人ならざる者との絆」が強く描かれているものを見たことがない。
それまで僕はあまり漫画に感情移入することはなく、どちらかというと一歩引いた客観的な視点で眺めていたのだが、『うしおととら』に関してはものの見事に感情を揺さぶられてしまった。終盤の展開に突入すると、もう涙が流れっぱなしで、最終巻を読み終わる頃には泣きすぎて頭痛がしていた。部屋に入ってきた母親には何事かと驚かれ、兄からは何故か、気味の悪いものでも見るような冷たい視線を向けられてしまった。
作者である藤田和日郎氏は、人が持つ暗黒面のみならず、闇の中に息づく妖魔の邪悪さを描かせたら随一で、中でも「衾(ふすま)」という妖怪が初登場した見開きのシーンは要注意だ。下手に子供に見せると思わぬトラウマを抱えてしまい、飛行機に乗れなくなってしまう可能性がある。
『うしおととら』は、僕の恐怖の源泉となり、以来僕はただのアクションものやヒーローものにもなにがしかの「怖さ」を求めるようになっていった。どんな人間でも怖さを感じない者はいない。その恐怖は人それぞれで、万人に共通する恐怖というものもまた簡単には見つけられない。それは裏を返せば、人の数だけ恐怖があり、それに立ち向かう方法も、克服する方法も千差万別ということ。だが、そのために必要なのが人が持つ「陽」の力。すなわち希望であり、それこそが万人に共通する、悪夢を終わらせるための光になるのではないだろうか。
ラストバトルの際、白面の者と対峙した潮が天を指差し、「今、オレ達は…太陽と一緒に戦っている!」と告げるシーンがある。ここがもう、たまらなくかっこいい。恐怖を乗り越えるとは、つまりそういう事なのだろうと思わずにはいられない興奮のシーンだ。我々は1人で生きているわけではない。この世は恐ろしいもので満ちているけれど、困難に立ち向かう時、必ずしも孤独でいる必要はないのだと、うしおととらは教えてくれた気がする。
おっと、書いているうちにまた涙が出てきた。
30年の時を超えてもなお、『うしおととら』は僕の心をこれでもかとばかりに揺さぶり続けているらしい。