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貴志祐介さん「秋雨物語」インタビュー 人間の業を露わにする、4つの恐怖譚

貴志祐介さん=KADOKAWA提供、ホンゴユウジ撮影

“現代の『雨月物語』”を目指したホラー短編集

――『秋雨物語』はファン待望の短編集。ホラー作品としては、2013年刊行の『雀蜂』以来約9年ぶりということになります。

 複数のジャンルにまたがった作品を書いているので、どこまでがホラーか自分では判断しづらいんですが、純然たるホラー作品ということになると『雀蜂』以来かもしれません。久しぶりに思いっきりホラーを書いたという気が、自分でもしています。

――『秋雨物語』というタイトルは、上田秋成の名作『雨月物語』を連想させますが、意識されましたか。

 はい。デビュー作の『十三番目の人格 ISOLA』がそもそも『雨月物語』をモチーフにしていましたし、『雨月物語』はずっと大きな目標のような存在でした。上田秋成の代表作といえば『雨月物語』と『春雨物語』。その向こうを張って、今回は“雨”をタイトルに冠した短編集を2冊書いてみることにしました。1冊目がこの『秋雨物語』で、来年には2冊目の『梅雨物語』が出る予定になっています。『秋雨物語』というタイトルは自分でも気に入っていて、誰かに使われないうちに早く書かなければ……、という密かな焦りがありましたね(笑)。

――なるほど。“貴志版・雨月物語”を目指されたわけですね。

 そこまで大それた話でもないのですが、もし自分が今『雨月物語』を書くとしたら、という意識で執筆しています。『雨月物語』を初めて読んだのは小学生の時でしたが、現代的な手法に驚いたんですよ。たとえば有名な「吉備津の釜」では、冒頭に吉備津神社の不吉な神事のシーンを持ってくることで、本編の怨霊譚の怖さを倍増させている。ああいうテクニックは、モダンホラーと呼んでいいと思います。江戸時代にここまでホラーを完成させた人がいるのか、というのは衝撃でした。

不条理な運命にもてあそばれる絶望

――収録作は「餓鬼(がき)の田」「フーグ」「白鳥の歌(スワン・ソング)」「こっくりさん」の4編。扱われているモチーフは多彩ですが、主人公が抗えない運命に翻弄され、苦しめられるという共通点があります。

 ある意味、“悪い神”によって支配された世界ですね。運命に逆らうことができず、いくら逃げようとしても同じ場所にまた出てきてしまう。そうした絶望感や無力感こそが、ホラーのひとつの本質じゃないかと思います。読者の多くはハッピーエンドを望んでいるのでしょうが、これはホラーなので仕方がない。逆にホラーファンは苦い後味も楽しんでくれるイメージがあるので、ありがたいと思っています。

――「餓鬼の田」は社員旅行で富山県の弥陀ヶ原を訪ねた主人公が、同僚の秘密を知ってしまうという物語。タイトルになっている“餓鬼の田”は、実在する名所だそうですね。

 まさに富山を旅行中にパンフレットを眺めていたら、“餓鬼の田”という物騒な名前が目に飛び込んできたんです。なんだろうと思って説明を読むと、まあひどい伝説が書いてある(笑)。その瞬間、ストーリーがほぼ完成しました。ムードの醸成も含めて、舞台に助けられたところが大きい作品です。一口に餓鬼といっても、価値観が多様化した現代では、いろんな種類の餓鬼が存在しているんじゃないか。そんなアイデアがもとになっています。

――“前世”や“餓鬼”といった非日常的な単語が、日常空間にするりと入り込んでくる。リアリティある力強い筆致に引き込まれます。

 これは絵空事ですよという書き方をしてしまうと、面白さが半減どころかゼロになってしまいます。どんなに荒唐無稽な展開であっても、登場人物にとっては真に迫った恐怖でなくてはいけない。ホラーでは書き手が緊張感を失ったら、アウトだと思います。

――2話目の「フーグ」はスケールの大きいモダンホラー。失踪した小説家・青山黎明の原稿には、彼が幼いころから苦しめられてきた、神隠しのような超常現象について記されていて、という作品です。

 ある意味、『トワイライト・ゾーン』(アメリカの名作SFテレビシリーズ)的な話ですよね。これは恐怖に2つの種類があると気づいたことから、着想した作品です。ひとつは見慣れないものがこちらに迫ってくる恐怖。もうひとつが慣れ親しんだものから引き離されてしまう恐怖。たとえば「お家がだんだん遠くなる」という童謡は、後者の心理をよく衝いていると思います。この作品では、意に反して見知らぬ世界に連れ去られてしまう恐怖を、解離性遁走(フーグ)という精神疾患と絡めて書いてみました。

――馴染みのない町や富士の樹海に飛ばされてしまう青山。その原因がまったく分からないだけに、不条理な怖さが際立ちます。

 超常現象に理屈をつけるのは好きなんですが、この作品に関しては、下手に解釈しない方が効果的だろうと思いました。青山が巻き込まれている現象も、もっと高い視点に立てば理解できるのかもしれない。たとえば人間に捕まって、まったく異なる場所で解放された虫には、何が起こっているのか分かりませんよね。同じようなことを人間が味わったらどうなるか、という発想です。

――青山の行方を追うのが、文芸編集者の松浪。担当作家に対する「天性の嘘つき」「社会性の欠如から他の仕事には就けなかった敗残者」といったシビアな人物評が、物語のスパイスになっています。

 本が好きな方なら、出版業界の舞台裏を楽しんでもらえると思います。ただし念のため強調しておきますが、作家と編集者の関係はこんなに殺伐としていません。作家の悪口ばかり言う編集者も、おそらく実在しないと思います。誤解のないようにお願いします(笑)。

貴志祐介さん=本人提供

幽霊が怖いのは、根底に人間の業があるから

――「白鳥の歌」は不吉なSPレコードをめぐる音楽ホラー。幻の日系アメリカ人歌手ミツコ・ジョーンズの奇跡の歌声の秘密が、じわじわと明かされていきます。

 蓄音機でSPレコードを再生すると、すごく生々しい音がします。蓄音機はCDなどと違って、音を一切増幅していません。針でレコードの溝をひっかいた音を、そのままホーンを通して聴くだけなんです。それなのに音がぶつかってくるような迫力がある。レコーディングする際も、ダイレクト・カッティングといって、吹き込んだ音がそのまま音溝に刻まれています。死者の念のようなものが音楽にこもるとしたら、CDやテープではなく、SPレコードこそふさわしいと思いますね。

――アメリカ音楽史から消された2人の女性歌手。その悲劇的な人生が胸に残る作品です。

 19世紀前半に流行したイタリアン・オペラが、より派手な演出のメロドラマとなり、やがてブロードウェイ・ミュージカルに生まれ変わる。そうした実際のアメリカ音楽史を取り入れながら、歌うことに取り憑かれた女性シンガーの人生を描いてみました。何かに打ち込むことは素晴らしいですが、度を越すと狂気の世界に近づいていきます。そうしたバランスを失った人を書けるのも、ホラーの面白さのひとつだと思います。

――後半で明らかにされる真相は、貴志さんの名作ホラー『天使の囀り』と共通する部分があるように感じましたが。

 そうですね。自然界に存在する未知の恐怖を、人類はさまざまな形で語り伝えてきたんだという展開も含めて、この短編は『天使の囀り』に似ていると思います。

――そして最終話の「こっくりさん」は人生に絶望した者たちが、“闇バージョン”のこっくりさんで一発逆転を狙おうとする物語。怪談の王道パターンに、巧みなアレンジが加えられていて唸りました。

 わたしが小学生の頃、こっくりさんが大流行して、クラスの女子が毎日のようにやっていましたね。わたしはやらなかったんですが、後年彼女たちがやっていたことを知って、こんなに怖い遊びをしていたのかと驚きました。正体のよく分からない霊を呼び出して、その指示を聞くって相当怖いですよ(笑)。この作品ではこっくりさんという言葉を自分なりに解釈して短編を作ってみました。

――こっくりさんを通して、主人公たちの深い業が露わになっていく。このどす黒い人間ドラマも大きな読みどころですね。

 スーパーナチュラルな現象が恐ろしいのは、根底に人間の業があるからです。人間のどろどろした思いがあるからこそ、それが幽霊という形をとって現れた時にぞっとする。人間の怖さと幽霊の怖さは、表裏一体のものだと思うんですね。たとえば幽霊屋敷だって「もともと幽霊が出る家でした」というのではまったく面白くない。過去に想像を絶するような事件があって、だから幽霊が取り憑いたんだという展開でなければ、わたしはつまらないと思う。

社会が発達するほど、恐怖の種類は増えていく

――貴志さんのホラーには『黒い家』のように人間の怖さを描いたものあれば、今作のように超自然現象を扱ったものもあります。それらは表裏一体にあるわけですね。

 ええ。『黒い家』は人間の怖さだけを描いていますが、後半を幽霊ものにすることだってできますよ。あれだけ悲惨な死に方をした人がいるんだから、化けて出てきてもおかしくない。恐怖心に訴えかける物語はすべてホラーと呼んでいいと思いますが、その底には大抵、人間の怖さが潜んでいるはずです。

――貴志さんは1990年代以降、日本のホラー小説界を牽引してきた第一人者です。あらためてホラー観を聞かせていただけますか。

 もともとホラーをそこまでたくさん読んでいる方じゃなかったんですよ。ミステリやSFは好きでしたが、ホラーはマニアというほどではなかった。ホラーの面白さに気づいたのは、1990年代前半ですね。日本ホラー小説大賞に応募するために恐怖について考えていて、実に奥深いテーマだなと気がつきました。ちょうどその頃、鈴木光司さんの『リング』を読んで刺激を受けたんですね。当時、ミステリのパターンはほぼ出尽くしたと考えていたんですが、『リング』はミステリの文脈で超自然的なホラーを書くことで、閉塞感を打ち破っていた。この方向には、まだまだ未踏の大地が広がっているという気がしたんです。

 だから今でも好きなのはモダンホラー系。ミステリ的に構成されたホラーが好みで、ゴシックホラーのようなものは得意ではありません。特に主人公が闇雲に怖がって、うろうろ動き回るだけのホラーは嫌ですね。たとえ無駄だと分かっていても、自分を奮い立たせて、絶望的な運命に立ち向かおうとする。人間はそういうものだと思いますし、ホラーもそうあってほしいと思います。

――貴志さんのホラーは題材が豊富ですね。今回の『秋雨物語』だけでもオカルトホラーから科学的なものまで、バラエティに富んでいます。

 それはわたしの引き出しが多いのではなくて、恐怖というものが多彩なのだと思います。現実は恐怖に満ちていますよね。日々のニュースを見ていると、絶望しそうな話題ばかりじゃないですか。戦争にパンデミック、気候変動、少子高齢化に経済破綻の危機。悪いことはすべて祟りだと信じていた昔の人に比べて、現代人の方がはるかに複雑な恐怖を味わっている。社会の切り取り方、人間の受け止め方によって、恐怖はいくらでも増えていきます。社会が存在する限り、恐怖という感情は決してなくならないでしょうね。

――ホラーの題材も尽きることもないですね。これからもどんどん怖い作品を執筆してください。来年刊行の『梅雨物語』も楽しみにしています。

 このシリーズは当初、「雨の百物語」というタイトルにしようと考えていたんです。実際に100話書いていたら時間がいくらあっても足りないので、とりあえず2冊のシリーズとしましたが、ホラー短編を書くのは楽しいですし、機会を見つけてこれからも書いていきたいと思います。まずは来年の梅雨時に『梅雨物語』がちゃんと出るように、がんばらなければいけません。