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歴史研究の怖さ、思い知った 「分断の克服 1989-1990」大佛次郎論壇賞、板橋拓己さん寄稿

板橋拓己さん

今と地続きで、別の道もありえた歴史

 本書『分断の克服 1989―1990』をほぼ書き終えていた2022年2月24日、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが流れた。それ自体ショックだったが、自分が書いていた本の内容が、あらためて現在と地続きであることを感じていた。これまでも現代的な意義を意識しながら歴史研究に取り組んできたつもりだった。しかし、自分の原稿から――大袈裟(おおげさ)に言えば――「血が出る」感覚がしたのは初めての体験だった。恥ずかしながら、歴史研究の怖さをいまさら思い知った。

 このたびの受賞は個人的には研究が報われた思いで嬉(うれ)しいが、その背景を考えると複雑な気持ちでもある。

解禁史料が語るドイツ統一の過程

 本書は東西ドイツ統一をめぐる国際政治を扱ったものだが、このテーマに取り組んだのは、まずは史料への好奇心からだった。言うまでもなくベルリンの壁崩壊とドイツ統一は世界史上の大事件だ。その大事件に関する一次史料が続々と解禁され、歴史研究者として血が騒いだ。この10年ほど、ベルリンにあるドイツ外務省の文書館に足を運ぶたびに夢中で史料を読んだ。

 と同時にこの10年で、ドイツ政治やヨーロッパ政治の現状について文章を書いたり、話をしたりする機会も増えた。そうしたなかで、ユーロ危機、ウクライナ危機、難民危機、右翼ポピュリズムの台頭など、この10年余りにヨーロッパを襲った複合危機の遠因が、冷戦終結過程、とりわけドイツ統一プロセスに凝縮されていると考えるようになった。

 また、2016年から2年間、在外研究でドイツに住み、いまだ残る――そして再生産されている――東西間の「心の壁」を実感したことも、ドイツ統一や冷戦終結について考え直す手がかりとなった。

現代欧州が抱える危機の「始まり」

 ドイツ統一は、冷戦の「終わり」を象徴する出来事であると同時に、現代ヨーロッパ国際秩序の「始まり」でもあったのである。たとえばそれは、共通通貨をひとつの軸とする欧州連合(EU)を生み出すとともに、北大西洋条約機構(NATO)の東方拡大へのきっかけともなった。そしてそれらは、ユーロ危機やウクライナ危機といった、現在のヨーロッパが抱える難問の、直接の原因ではないにせよ、遠因にもなっている。

 そうした問題意識から、本書のもととなる文章を書いていった。他方で、現在の問題意識から遡(さかのぼ)って過去を裁断するような姿勢からも距離をとった。あくまで史料に基づいて書けることだけを書く。そういう叙述に努めたつもりである。

    ◇

 本書を読むときに気を付けていただきたいことがある。それは――前段と矛盾するように聞こえるかもしれないが――ドイツ統一からNATO東方拡大まで、いわんやロシア・ウクライナ戦争までを一直線に結びつけて考えないでほしいということだ。1990年以降も、西側とソ連およびロシアとの関係にはさまざまなことがあったし、さまざまな可能性があった。歴史は可能性の束だ。本書が示したように、ドイツ統一や冷戦終焉(しゅうえん)のあり方には別の可能性がありえた。そして、1989年から90年にかけてすべてが決まったわけではなく、その後も多様な可能性に開かれていたのである。

 これから研究したいことは山ほどある。もともと研究していた両大戦間期や戦後直後のヨーロッパ政治史研究を深めてもみたい。ただ、「始まり」を書いたからには、その続きも書かねばならない。冷戦後の世界のなかでドイツはいかなる国際秩序をめざしたのか、新たな史料をもとに解き明かしていきたい。そのうえで、冷戦後の日本の歩みとの比較にも取り組んでいければと密(ひそ)かに目論(もくろ)んでいる。=朝日新聞2023年1月25日掲載