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『山上徹也と日本の「失われた30年」』書評 「人間の尊厳」奪う社会に抗する

評者: 三牧聖子 / 朝⽇新聞掲載:2023年05月20日
山上徹也と日本の「失われた30年」 著者:五野井 郁夫 出版社:集英社インターナショナル ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784797674279
発売⽇: 2023/03/24
サイズ: 19cm/174p

『山上徹也と日本の「失われた30年」』 [著]五野井郁夫、池田香代子

 安倍晋三元首相の銃撃事件の社会的背景を論ずることには独特の難しさが伴う。事件後、山上徹也被告と同様、困難な人生を強いられてきた世界平和統一家庭連合(旧統一教会)信者の2世たちが、教団と政治との癒着、宗教2世の人権侵害を決死の覚悟で訴えた。しかし、その切実な訴えを引き受け、政治社会を変えようとする人々は、こう非難された。「テロによって社会を変えてはいけない」「あなたはテロを助長している」。今に至るも旧統一教会に解散命令は出ていない。
 いかなる理由も殺人を正当化しないし、裁判前から山上被告の減刑嘆願が殺到するようなことは異常だ。本書はこの点をまず明確にする。その上で、「テロに屈さない」という大義のもと、人間の尊厳、さらには命がないがしろにされている社会が放置されることに全力で抵抗する。山上被告が記したとされるツイート全1364件の分析が突きつけてくるのは、元首相の殺害という凶行に及んだ人物の境遇は、この世代ではごくありふれているという事実だ。旧統一教会の信者2世という山上被告の家庭環境は特異だが、被告と同じロスジェネ世代は、日本の「失われた30年」の煽(あお)りをまともに喰(く)らった世代で、慎(つつ)ましく生きることすらかなわず、政治にも社会にも救われなかった人を多数抱える。
 「運命なら決まっていて、ただそれを受け入れるしかない。だが社会なら、未決定」。末尾で紹介される社会学者内田隆三氏の言葉だ。困難を抱えた世代の問題はその世代だけでは解決できない。しかし今の日本社会には、限られたパイを奪い合えとばかりに、世代間対立を煽る言説が蔓延(まんえん)する。
 「山上被告の半生は、『わたし』だったかもしれない」という痛切な思いを抱くロスジェネ世代の五野井氏と、ロスジェネ世代の子を持つ池田氏の真摯(しんし)な世代間対話は、「未決定」の未来に向けて、微(かす)かな、しかし確かな希望の光を灯(とも)す。
    ◇
ごのい・いくお 1979年生まれ。政治学者、高千穂大教授▽いけだ・かよこ 1948年生まれ。ドイツ文学翻訳家。