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「岡倉天心とインド」書評 宗教改革運動家との交流の影響

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2023年06月03日
岡倉天心とインド 「アジアは一つ」が生まれるまで 著者:外川 昌彦 出版社:慶應義塾大学出版会 ジャンル:芸術・アート

ISBN: 9784766428896
発売⽇: 2023/04/19
サイズ: 20cm/8,224,71p

「岡倉天心とインド」 [著]外川昌彦

 岡倉天心と言えば、この国の美術について考えるうえで欠かすことのできない存在だ。だが、著名な一節「アジアは一つ」(『東洋の理想』)は死後、軍部や国粋主義者の手で大東亜共栄圏を支える標語として援用され、戦後は危険思想視されるにまで至った。その余波は今なお、しこりのように天心評価につきまとう。
 著者は、この言葉の深みがインドの宗教改革運動家、スワーミー・ヴィヴェーカーナンダとの思想的交流にあると考える。ヴィヴェーカーナンダは、不二一元(ふにいちげん)論(二元論の否定)をもとに多様性を包摂するネオ・ヒンドゥー教を根源から再組織しようとした人物だ。その志は若くして病に断たれたが、その核心部分が天心に託される形となった――そう著者は説く。
 確かに、かつてヘーゲル流の歴史主義者で、スペンサーの社会進化論の影響を受けたアーネスト・フェノロサに師事した天心が「アジアは一つ」と言うとは考えにくい。天心の立ち位置を、日本とはギリシャ文明の西漸が太平洋で堰(せ)き止められた最終段階にあるとする歴史哲学(フェノロサ)ではなく、アジアを文明の進展で分断せず、すべての領野に浸透する「不二一元(=Asia is one)」の宗教的境地(ヴィヴェーカーナンダ)への移動から考えるなら、そこには大きな思想的転身があったことになる。
 かつて丸山眞男は、天心はアジアにおける日本の特権的な立場をめぐって「ある致命的な個所でルビコン河を渡っていた」と指摘した。しかしながら、その着想が単に観念的なものではなく、みずからを「異なる歴史や文化を背景に持つインドに身をおくことで、見出(みいだ)したもの」であったとしたら、どうだろう。その影は、若き日にやはりヴィヴェーカーナンダに強く触発されたインドの現モディ首相の「西側」への政治的距離とも、どこかで共鳴しているように思われてならない。
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とがわ・まさひこ 1964年生まれ。東京外国語大教授。専門は、文化人類学、宗教学、ベンガル文化論。