なにげなく発せられた言葉に、心がざわつく。その場はやり過ごせても、不穏な思いが積み重なっていく。寺地はるなさんの新刊「わたしたちに翼はいらない」(新潮社)は、人間の心理のあやをていねいに描いたサスペンスあふれる長編小説。読み手の心に潜む闇を鏡のように映し出す。
物語の語り手は同じ地方都市に生まれ育ったアラサーの男女3人。シングルマザーの朱音、専業主婦の莉子、莉子の同級生だった律。10代からの関係性がゆるやかにつながったまま時が流れていく街で、それぞれに鬱屈(うっくつ)した思いを抱えて生きている。
「ちょっとした会話に違和感を抱くことがあるんです。作家になって中学の同級生から久しぶりに連絡があったとき、そんなに仲良くなかったのに、突然ちゃん付けで呼ばれて、少しびっくりして。そんな言葉が出てくる背景に何があるのか、探ってみたくて」
3人の鬱屈は10代にさかのぼる。莉子は母から「女の子はかわいければいい」と言われ、男に好かれる努力をした末、中学のクラスの「王様」だった大樹を射止めた。だが、大樹は仕事をダシに子育てを丸投げ、浮気もしているらしい。その大樹から、中学時代に受けたいじめがトラウマになっているのが律。仕事で偶然再会したときの言動から、殺意を覚えることになる。
一方、朱音は小学校時代にいじめを受けた際、教師からかけられた言葉に縛られていた。「犀(さい)の角のようにただ独り歩め」。励ましの言葉に違和感を抱きながらも凜(りん)として生きてきた朱音だが、しばしば他者との軋轢(あつれき)を引き起こす。
「世の中にはポジティブな呪いの言葉があふれてますよね。〈君には翼があるから飛べる〉とか〈何歳になっても人は変われる〉とか。そんな世間が納得するだけの言葉なんて、自分に響かなければ、受け入れなくていいと思うんです」
異なる軌道を描いていた3人の人生はやがて交錯し、莉子は律に、律は朱音に「どうしてこの人は自分のことをこんなにもわかってくれるのだろう」といった気持ちを抱いていく。だが、彼らはそれ以上には連帯も共闘もしないまま、莉子の人生を大きく変える「事件」が起きる。
「連帯ってとても美しい言葉だけど、嫌な表現をすると依存でもある。人間はそんなに簡単にはわかりあえないわけで、連帯を安易に解決策として与えてはいけないと思った。ただ、作者としては3人を救いたくて、ハッピーエンドにしたつもりです」(野波健祐)=朝日新聞2023年9月13日掲載