著者は若手の哲学研究者。全国各地で一般の方を対象に「哲学対話」を実践している。本書はその活動の様子を中心に、世界の「わからなさ」を見つめる軽やかな哲学エッセイだ。
「哲学対話」とは〈哲学的なテーマについて、ひとと一緒にじっくり考え、聴きあうというもの〉〈普段当たり前だと思っていることを改めて問い直し、じりじり考えて話してみたり、ひとの考えを聴いてびっくりしたりする〉ものだという。そう聞くと、あまりに素朴に感じるかもしれない。
対話のテーマは次のようなものだ。〈おとなとこどもの違いは?〉〈死んだらどうなる〉〈神は存在するか?〉。これらの問いに正解などない。しかし「ひとそれぞれ」という回答はNG。他者の考えに耳を傾けた上で、「なぜそう思うの?」と踏み込んでいく。これは勝ち負けを決める議論でも、共感し合うための場でもない。年齢や職業、思想の違いを超えた「対話」なのだ。
本書では、小学校での対話の模様が、子どもたちの身体の動きや表情と共に、生き生きと描かれる。教員の心配をよそに、彼らは自分なりの答えを懸命に手繰り寄せていく。水中に深く潜るように、考えることに全力で集中する。のめり込むその様は、「対話の渦」にもたとえられる。
私が最も新鮮に感じたのは、著者が「わからない」自分を隠さないことだ。「わからない」は出発点。わからないからこそ答えを追い求め、そこに立ち向かう理由が生じる。
〈わたしたちは、お互いの話をわからないからこそ聞くことができる〉〈わたしはあなたの苦しみを理解しない。あなたのかなしみを永遠に理解しない。だから、共に考えることができる〉。分断の時代に必要なのは、他者との対話だ。本書がその前提に立つことに、私は深く安堵(あんど)する。
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晶文社・1760円。21年9月刊、21刷4万4千部。「読みやすい文体で難しい内容も柔らかく伝えている。特に女性の反響が大きく、普段哲学書を読まない方も手に取って下さっている」と担当者。=朝日新聞2025年7月19日掲載
