「トゥデイズ」書評 不穏をやり過ごす日常の「感じ」
ISBN: 9784065333082
発売⽇: 2023/10/26
サイズ: 20cm/186p
「トゥデイズ」 [著]長嶋有
「感じ」のいい話だ。
賃貸暮(ぐら)しから紆余(うよ)曲折あった家探しの末、神奈川県の大型マンションを購入した四十歳の立花恵示と三十五歳の美春夫婦の物語である。子供は来年小学生になる息子コースケ。住宅ローンはまだ三十年以上残っている。
彼らが暮らすRグランハイツは七階建てで全五棟あり世帯数は五百。築五十年ではあるものの一九七〇年代当時の「モダン」な建物で、敷地内にはプールも付いている。とはいえ、どの棟にもオートロックのようなセキュリティはなく、誰でも入り放題。〈悪さをしたい者にとっては貴重な、入れ食いの物件なのだ〉
恵示はほぼ在宅で仕事をしているエンジニア。旅行代理店をコロナ禍で早期退職した美春は、現在近所の薬局でアルバイト中。家事や育児を〈半分に出来ることはなるべく半分で〉を夫婦間の了解とするふたりは、コースケの寝かしつけや、食事の用意や保育園の送り迎えなどを分担。美春はマンションの理事も務めている――。
と書くと、なにやら不穏な空気が漂ってくるような気がしないだろうか。年季の入ったマンション。世代差のある住人たち。恵示が漏らす〈いろんなことへの仕方なさの混じった〉息。実際、住人の飛び降り自殺があり、美春は〈澱(おり)のような、うっすらと暗い気配が、このマンションにはやはりある〉と感じている。
けれどそうした不穏さを、作者はことさら誇張することなく、日常のなかに落とし込んでいくのだ。のみ込んで、やり過ごして、コースケを巧みに「誘導」したり、ダンス教室に通わせることで「子供を監督する義務」からの(合法的な)解放について考えたりしながら彼らは今日を生きる。
胸の内にあり続けながらも上手(うま)く言語化できずにいた「感じ」が、恵示と美春の思考と言動を読むことで腑(ふ)に落ちていく。こうやって私たちは明日へ漕(こ)ぎ出しているんだな、と。
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ながしま・ゆう 1972年生まれ。2002年「猛スピードで母は」で芥川賞。2007年『夕子ちゃんの近道』で大江健三郎賞。