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花の香りで憎しみ溶けたら 青来有一

イラスト・竹田明日香

 毎年10月中旬の短い期間、街を歩いていて甘い香りにはっとすることがあります。母が暮らす福祉施設に行く途中、今年もその香りに気づいて、あたりを見回しました。古びた木造の家が軒を連ねる人通りの少ない路地でした。プランターや鉢植えが置かれた一軒の家の門扉のそばで、白っぽい幹に黄色の小さな花の集まりをつけた樹木を見つけました。

 キンモクセイ。数日前は気がつきもしなかったので、まるで突然、現れたような気もします。クルマだったら窓を開けていてもまず気づかないはずで、秋の街を歩く愉(たの)しみのひとつです。マスクをしたままだったことに気がついたのは、その後でした。鼻も口もおおっているのに香りがわかったのはなにか呼びかけられたようで、ちょっと神秘的な感じもします。

 スーパーマーケットで母の差し入れを買ったばかりで、手には、芋まんじゅうやプリン、保冷材で包んだ小さなアイスクリームが入ったエコバッグを持っていました。

 だれもいないのにマスクをしているのも妙ですが、母にすぐに面談するのでそのままはずしはしませんでした。

 新型コロナウイルス感染症の法の位置づけが、2類から5類に変わったのが、今年5月。その前の3月からマスクの着用はすでに緩和されていましたが、今も人混みではマスクをはずさないのは、週に2度、そんなふうに差し入れを持って93歳の母に会いに行くからです。

 世の中はコロナウイルスも気にしなくなってきましたが、今年はインフルエンザの流行も心配され、福祉施設など逆に神経質になり、母が入居している施設では、面談は一度に10分に制限されるようになりました。

 マスクや面談時間の制限効果がどれほどかはわかりませんが、7月に混雑したレストランで食事をした数日後、熱が出て、思いがけずコロナ陽性と診断され、一昼夜、燃えるような高熱に苦しんだので、高齢の母に感染させたらひとたまりもないという実感はあります。

 マスクをはずさない人への批判もあるのはわかっていても、自分自身が危険な存在にならないため、インフルエンザのワクチン接種もふくめ、マスクなどできるだけのことはするしかありません。

 「コロナ後の世界」がこの連載のテーマです。昨年2月のロシアのウクライナ侵攻や、今年10月のハマスの襲撃とイスラエルの空爆を見ていると、コロナ後は「暴力と憎悪の世界」なのかと暗い予感がしてなりません。

 イスラエルとハマスの対立では、双方がSNSで血まみれの子どもの亡きがらなどの映像を発信し、相手への憎しみをあおっているともいわれ、暴力の応酬が続けば報復の連鎖になるとわかっていても、人々は「復讐(ふくしゅう)せよ!」と腹の底でつぶやく不気味な声から逃れられないのでしょう。子どもが殺害されたら許せないのは当然で、苦しくても憎しみを生きるしかない。それがコロナ後の世界だとしたら悪夢そのものです。

 血と硝煙の臭い、死臭漂う戦場にふいに甘い香りが流れてきて、兵士は銃撃や砲撃を止め、泣き叫ぶ子どもは小さな指でにじんだ目尻を拭い、負傷兵の激痛も消えていく。荒れ果てた廃虚に、突然、現れた神秘の花が放つ香りで人々の憎しみが溶けはじめる……

 憎悪にがんじがらめになった心を解き放つ、そんな戦場の花物語を夢想しもしますが、しょせんファンタジーでしかなく、一時の停戦は考えることができても、終戦へ続く物語は想像できません。

 福祉施設で母はぼんやりとリビングの椅子に他の入居者とともに座っていました。「息子さんが来られましたよ」と職員に声をかけられると、なにを思ったのか、「よろしゅう、お願いします」と座ったまま二つに折り重なるぐらい深々とお辞儀をするのでした。=朝日新聞2023年11月6日掲載