知らない土地へ行くと、ただ歩く。
あてもなくぶらっと街へ出て行って、地下鉄に乗って、降りて、階段を上がって、目についた高層ビルの展望台へ昇って、川があれば近寄って水辺を覗き込んで、遊覧船があれば必ず乗ってみる。
お店なんかに入るのがわずらわしい、ということでもある。入ってしまうと途端に、「そこにいる」ということをやらなくてはならなくなるのが、めっぽうしんどい。
知らない街を、知らなければ知らないほど、一日中どこにも寄らず立ち止まらず歩いていると、だんだん自分が何かの乗り物のように感じられてきて、心地良くなる。
けれど、それでも 「臨界点」はある。それが唯一ないのが、東京の大手町だった。
電車で高校に通うようになった大昔、ふと乗換の地下鉄大手町駅から地上へ上がってみたら、グワッと広大な空間が広がっていて、空が近かった。
大手企業の巨大ビルが集まった一帯は、見回すと、縦/横/奥行きの3次元が全部、途方もないスケールだった。ビルのガラス壁が陽光を跳ね返して、風の中が光っていた。ビルの反射でどこから射すのかわからない光を、信号待ちの車列が丸ごと浴びて、そのあと翳りの中に沈んでゆく。峡谷で夕陽を眺めるように、ずっと見ていられた。
風通しの良いところを歩いているひとはみんな、颯爽として自由に見えた。こっちも歩いているうちに自分の重さを忘れて、どこへ行くか、とか、どこから来たか、とか、どうでもよくなった。大手町は、すがすがしくて誰のものでもない、ほんとうの「公共空間」という感じがした。
◇
それから7年後、まだSNSも携帯もない頃、大学3年の終わりに衝動的に思い立って、語学留学した。準備もそこそこに成田からパリ経由で南仏モンペリエの空港に着いたとき、知り合いはひとりもいなかった。
街の中心の広場へ向かうスロープで、犬を連れた若い男性に道を尋ねたら、「オレもこっちの方向に行くから一緒に行こう」となり、道々話しているうち「じゃオレんとこに来るか、彼女と一緒に住んでる」と誘われて、お邪魔をしたらそのまま晩御飯をごちそうになった。 気がつくと夜の10時を過ぎていた。「……明日は何時に来る?」と尋ねられた。
その夜から、学校にはほとんど行かず、彼らの家に通った。ルオンという青年と、イザベルというガールフレンドの大学生。彼らは北部のリールという大きな街の出身で、一緒に南仏に来たという。彼らの愛犬、ドンジェックは、茶色でちょっとシェパードぽくて、「プチ・ルー(小さい狼)」とふたりは呼んでいた。
愛車の2CV(ドゥ・セヴォ―)を自分で修理するルオンを手伝って、エンジンを丸ごと取り替えたりもした。直った車で、3人と1匹でいろんなところへ出かけた。近くの山で、赤やオレンジのキノコをたくさんとって食べようとした(あぶなかった)。フラミンゴが群れなし、うつ伏せのおじさんヌーディストが大挙して浜辺に転がる地中海で、まだ冷たい海に入って泳いだ。ある晩、急に思い立ってルオンの愛車で車中泊してパリを目指した(明け方、死ぬほど凍えて眠れなかった)が、「パリはフランスじゃない」とルオンが言い出して高速道路の陸橋の上で口論になり、結局どこへ行ったのか覚えていない。
今、手元に1枚だけ色褪せた写真が残っている。ルオンとイザベル、そして愛犬ドンジェックがソファに座っているスナップショットが、別れ際にもらったビクトル・ユーゴーの大判の古本に挟んである。彼らが大切にしていた本だった。互いに消息が分からなくなって30年近く経つ。どこでどうしているだろうと思う。きっともうモンペリエにはいない。
彼らと一緒にいると、モンペリエの中心にあるコメディ広場へ足が向くことが、ほんとうに多かった。広場は、いつもひとでごったがえしていた。年に1度の音楽祭もデモも、ひとの群れは結局、あの広場を目指していた。カフェやビストロが広場に面した石畳に、テラス席が多数出ていた。そこに座って、夕刻の風を浴びながらシメイビールを飲むのが最高だった。
あのコメディ広場が、今も変わらずあそこにあると思うと、なんともいえない喜びを感じる。
◇
この間、5年ぶりくらいに大手町を歩いた。緑が増えてぐっと爽やかになっていた。ビル壁の反射光を浴びた若いお母さんがベビーカーを押し、ぐずるもうひとりの小さなお子さんの手を引いて、目の前を歩いていった。それとなく見ていると、いきなりお子さんをほとんど逆さに抱え上げ、おむつを匂って確認した。ちょっと驚いた。
今も強力な呪いの力があるという、平将門の首塚の一区画が、丸ごと新しくなっていた。次々とお参りのひとが出入りしていたので、入っていって手を合わせ、一礼した。この首塚に背を向けて座るオフィスワーカーは、首や肩に異変を感じて具合が悪くなるという。なるべく背中を見せず、後ずさりしてからまた一礼して、敷地を出た。
文芸コンクールの審査で訪れた大手新聞社の本社ビルは、入場パスのQRコードを忘れていてセキュリティに引っかかり、なかなか入れてもらえなかった。入ってみると、ガラス張りの内側の編集部フロアは路上よりもしんとしていた。咳をすればフロア中に響き渡るくらいで、水の中に眠ったようだった。土曜日だったせいもあるかもしれない。
ぶらぶら歩いていったら、そのあと、皇居前の広大な芝の広場で、さっきの母子に出くわした。ぐずって泣いて地べたに座り込んだあの子を、10メートルくらい離れたところから、あのお母さんが仁王立ちになって待っている。どっちも何か叫んでいるが、遠くて聞き取れない。お母さんがくるっと背を向けてどこかへ行ってしまう素振りを見せると、泣いている子が余計にわーんとなって駆け寄って行った。
そのあと、皇居前の広大な公園で、ベビーカーをたくさん見かけた。若いお洒落なお母さんたちが、子どもたちを芝の上で遊ばせながら井戸端会議している。点在する松の木陰で、持参したシートの上で昼寝するひとが、そこここにいた。
ビジネスの中心街、大手町が、母子も昼寝するひとも憩う広場のように見えた。誰にとっても居場所があって、誰のものでもない「公共空間」だ。
これから先、いつか老人ホームに入るなら大手町で探したい。ないと思うけど。あったとしても高額で、入れるわけはないけど。