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昭和からの更新、四苦八苦 青来有一

イラスト・竹田明日香

 朝から晩秋の冷たい雨が降り、図書室に返却する本があるのに家を出たくありません。パソコンのディスプレーに向かっても、書こうとしているものが渦巻いて、ことばにならなくて考えこむばかりです。

 そのうちにパソコンのOSのバージョンアップが気になり始めました。以前もやってだめだったのにアップデートの期間が延長されたと知り、なにかもやもやして気になる。結局、検査用のソフトウェアをもう一度ダウンロード。結果は、やはりダメ。パソコンの頭脳であるCPU「中央演算処理装置」が古く規格に合わないようです。

     *

 気分は停滞したまま自室にこもり、正午過ぎにリビングに出ていきました。外を見たら小雨は霧雨に変わり、もやに隠れていた遠い山々の稜線(りょうせん)が見えます。「午後、雨はしだいにやんで晴れ間ものぞくでしょう」とテレビの昼前の天気予報に気分もようやく上向いてきました。

 まもなく雨も上がってベランダに出たら、家々の屋根のいくつかが光り、ショッピングセンターの大きな建物やマンションの西側の壁面がはちみつ色に染まってまぶしく、西の空の雲が割れてオレンジ色の光が一帯を照らしています。気分は一転、本の返却に外出する気持ちになりました。

 天候のようにめまぐるしく変わる気分に「女心と秋の空」という諺(ことわざ)を思い浮かべ、「人の心と秋の空」がいいなどと考えます。気分の変わりやすさは女性の属性ではなく人間一般のことで、諺にジェンダー・バイアスがかかっている。

 国語学者でエッセイストの寿岳章子の本を読んだおかげでそんなことを考えました。

 差別や偏見はことばとともに伝わる。そして心はかなりの部分がことばかもしれない。文章を書く人間としては、時代の偏見で歪(ゆが)められたことばには注意しないとまずい、寿岳章子の本にそうも教えられました。返却は彼女の本三冊。ショルダーバッグに入れて家を出ました。

 路面はまだぬれて黒く、水たまりに空が映っています。青空の薄片が地面に貼りついているようで「ああ、きれいだ」と立ち止まったら、後から来た小学校1年生らしい3人の女の子が追い抜いていきます。3人そろいの紺の丸い帽子に制服、黄色いカバーのついたランドセルを背負い、手には黄色い傘をぶらぶらと振り回している。

 ひとりが「あっ、空」と傘で水たまりを示し、「なに? なに?」と水たまりをのぞき、3人のにぎやかなおしゃべりが始まりました。「女三人寄れば姦(かしま)しい」。もちろんこの諺にもジェンダー・バイアスがかかり、自分の内面はそんな古いことばでいっぱいです。一文字の漢字に「女」を三つも書くなど異様にも感じ、これは「かしましい」とひらがな表記にすべきだとなおも考え続けました。

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 信号待ちの横断歩道では、反対側にいる高齢の女性のエコバッグから水鳥の黒いくちばしのようなものがにゅっと出ていることに気がつきました。

 この土地ではなじみの長なすです。30センチ以上あるものも珍しくありません。「秋茄子(なす)は嫁に食わすな」という諺はいったいなにか。嫁イビリの説もあるが、嫁が体を冷やさないようにという姑(しゅうとめ)の配慮の説もあり、うーんと考えあぐねていたら、突然、自分のCPUは古すぎるという考えがひらめきました。

 昭和の人間には昭和の時代の限界がある。「嫁」「姑」という漢字にも時代の限界が見え隠れし、そんな文字やことばで生きてきたわが心はバージョンが古すぎて、もはやアップデートはできないのかもしれません。新しい時代を生きるのは新しい世代のことばと感性でしょう。

 自分は古いバージョンをなんとかごまかしながらやりくりして使い続けるしかないのか……。ちょっと悲観的な気分で「心はCPUじゃない」と新しい諺のような悪態をついたら、ちょうど信号が青に変わり、早足で歩き始めました。=朝日新聞2023年12月4日掲載