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同行者、リンゴ 澤田瞳子

 旅先で時間が出来ると、スーパーや市場に立ち寄る。その地ならではの野菜や魚、時には総菜を買って翌日の弁当代わりにすることもある。

 先日、一人旅の最中に行った市場でリンゴが山積みにされていた。地元の名産とあってつやつやと赤くて大きく、しかも安い。おやつにと一個求めたが、手元に果物ナイフがない。コンビニが多い土地ではないし、宿で貸してくれとも言いづらい。なら丸かじりにと考えたものの、欲張って大きなものを選んだため、一度で食べきれるサイズではなかった。ううむ、とりあえず明日以降にしよう。ただ季節は冬とあって、室内は暖房が利いている。保管にはよくないと涼しい窓際にリンゴを置いて、一晩を過ごす。翌日は傷がつかぬようタオルに包んでからリュックに入れ、次の目的地へ向かった。

 ただ、持ち歩いたところでリンゴが小さくなるわけではないし、徹頭徹尾の一人旅、分け合う相手もいない。翌日もまた宿に入るとまずリンゴを適切な保管場所に移し、翌朝は大切に納めて宿を発つ。

 その間、リンゴは爽やかな香りを放っているが、相変わらず食べる手段はない。自宅なら半分だけ食べ、後は翌日に回しもできるのだけど。

 三日、四日と経つにつれ、赤い果物がだんだん食べ物に見えなくなってきた。まるでおとなしい小動物を連れて旅をしている気分で、何やら楽しくなってきた。

 結局リンゴは旅の最後までわたしに持ち歩かれ、ついに京都まで一緒に帰ってきた。とはいえこのまま古びさせては、可哀想だ。果物とは食べるためにあるのだから。旅先からそのまま出勤した大学の研究室の台所には、果物ナイフがある。居合わせた教授が果物嫌いでないことを確認して、やっと刃を入れる。だが瑞々(みずみず)しいリンゴは確かに美味だったが、それを口に入れることで何かが失われたこともまた事実だった。旅の終わりを告げるリンゴは甘く酸っぱく、そしてわずかにさみしい味がした。=朝日新聞2024年1月24日掲載