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「冬に子供が生まれる」 混乱する記憶 終わらない物語 朝日新聞書評から

評者: 藤田香織 / 朝⽇新聞掲載:2024年03月02日
冬に子供が生まれる 著者:佐藤 正午 出版社:小学館 ジャンル:日本の小説・文学

ISBN: 9784093867078
発売⽇: 2024/01/30
サイズ: 20cm/364p

「冬に子供が生まれる」 [著]佐藤正午

 実に七年ぶりの新作長編小説である。
 帯には〈直木賞受賞第一作〉と記されているが、佐藤正午が『月の満ち欠け』で同賞を受賞したのは平成二十九年。待ち望まれた新しい物語は、奇妙かつ曖昧(あいまい)で、不穏な気配が満ちているにもかかわらず、読後には切実な救いが胸の奥に残る、まごうかたなき傑作だった。
 〈今年の冬、彼女はおまえの子供を産む〉。幕開け、丸田君なる男性のスマホに、ショートメッセージが届く。激しい雷雨が続く七月の日曜の夜、丸田君は高校時代の同級生が出演するテレビ番組を見ていた。
 〈音楽シーンを牽引(けんいん)〉する〈カリスマ〉となった男を囲み、バンドを結成した母校の教室で、見覚えのある男女が思い出を語る。唯一途中で脱退し〈有名になりそこねた〉仲間の噂(うわさ)話になったところで、丸田君は息を呑(の)んだ。「マルユウ」。画面のなかの旧友たちが口にする綽(あだ)名はかつて丸田君自身が呼ばれていたものだった。
 しかし、丸田君は、カリスマ有名人とバンドを組んだことはない。噂で「マルユウ」は野球のコーチをしていて、結婚もしているだろうと言われていたが、丸田君は独身でコーチなどしていない。旧友たちが語る「マルユウ」は自分ではない。間違われている。混同されている。誰と? 彼らが語る「マルユウ」は誰のことなのか。身に覚えのない予言的なショートメールと交錯し混乱する記憶。それを語る正体不明の視点人物「私」。
 佐藤正午の小説は、紹介するにあたり、あらすじを説きたくない、と思わせるものが多いのだが、本書もまた然(しか)り。先の丸田君(マルユウ)と同姓で小学生の頃には双子のようだと見られていた「マルセイ」、ふたりにそう綽名をつけた転校生の佐渡君、そしてあとから三人の仲間に加わった杉森真秀が主要人物といえるが、そうとは明かせぬ重要人物も存在する。
 語られる過去、秘められた過去。そこで何があったのか、どこへ繫(つな)がりこの先に何が見えるのか。ちりばめられたピースを見逃さないよう、注意深く読み進めても、どこへ続いていくのか、まったく予想がつかない。いや、想像したくない。ただただ、この世界でさまよっていたいと思わせるのだ。
 マルユウの父の〈あの子供はだれだったんだ〉という痛切な叫びに眩暈(めまい)がし、〈ひとと違う経験をしたら、友だちがいなくなる〉という教訓めいた少年の言葉の記憶に打ちのめされる。
 終わらない物語だ。追いかけてくる記憶にとらわれぬよう、「私」たちは生きていく。
    ◇
さとう・しょうご 1955年生まれ。83年『永遠の1/2』ですばる文学賞。2015年『鳩の撃退法』で山田風太郎賞。17年『月の満ち欠け』で直木賞。他の著書に『彼女について知ることのすべて』『Y』『ジャンプ』など。