スティーヴン・キングへの憧れ+本格ミステリ
――『double~彼岸荘の殺人~』はこれまでミステリを書かれてきた彩坂さんにとって、初となるホラー長編ですね。執筆の経緯を教えていただけますか。
もともとミステリと同じくらいホラーが好きで、いつか書いてみたいとは思っていたんです。特に好きな作家がアメリカのスティーヴン・キングなのですが、日本におけるキング作品の版元は文藝春秋さんなんですよ。今回、文春文庫から「好きな題材で書き下ろしを」というご依頼をいただいて、キングと同じレーベルで出すならホラーしかないと(笑)。ホラーにもいろいろな題材がありますが、幽霊屋敷ものはぜひ挑戦してみたかったものの一つです。
――幽霊屋敷もののホラーには、映画化されたスティーヴン・キングの『シャイニング』をはじめとして、シャーリイ・ジャクスンの『たたり』、リチャード・マシスンの『地獄の家』など傑作が数多くあります。これらは作中でも言及されていますが、意識されましたか。
もちろん意識しました。小説でも映画でも幽霊屋敷ものは名作がたくさんあるので、読者に楽しんでもらうために、自分なりの新しい味つけをしたかったんです。それで思いついたのが、幽霊屋敷で本格ミステリをするというアイデアです。クローズドサークル(外界から隔絶された閉鎖空間)で事件が起きるというミステリでおなじみの展開を幽霊屋敷でやってみたら、一粒で二度美味しい作品になるだろうと考えました。
――舞台になるのは、長野県山中に建つ古い洋館・彼岸荘。昭和初期以来、多くの人が異常な死を遂げてきたという呪われた館です。
ふだんは舞台になる場所に足を運んでから執筆することも多いのですが、実際に幽霊屋敷を取材するのは難しいので、さまざまな資料を読み込んだり、彼岸花の群生地を見に行ったりして、イメージを膨らませました。ヒントになったのは、アメリカの西海岸に実在するウィンチェスターハウスです。死者の祟りを恐れて増改築をくり返し、巨大な迷路のようになってしまったというこの館が、彼岸荘のイメージのもとになりました。
超能力者チーム+百合ホラー
――彼岸荘の謎を解き明かすため、大企業の次期後継者が各地から超能力者を招き寄せる、というのが物語の発端です。超能力者が集うという設定がユニークですね。
幽霊屋敷にわざわざ足を踏み入れるのはどんな人たちだろうと考えて、そこから設定をふくらませていきました。さまざまな超能力者を登場させたのは、超能力を好んで登場させる、キングの影響もあったかもしれないですね。幽霊屋敷に超能力を絡めると、何でもありになってしまうおそれがあったので、荒唐無稽な展開にならないよう、一定のルールと論理性を持たせるように心がけました。
――主人公・山本ひなたの幼なじみである神城紗良は、手を触れずに物を動かすことができる念能力者。かつて世間の注目を集めたことがトラウマとなり、現在は引きこもり生活を送っています。
紗良のような超能力者でなくとも、人と違う部分があるために劣等感を抱いたり、心の壁を作ってしまったりという経験は誰でもあると思うんですよね。
そんな紗良と、彼女をずっと近くで見守り続けるひなたの関係は、友情という言葉ではくくることができない特別なものです。これを“百合”っぽい、と表現するのは分かりやすくカテゴライズしてしまうようで抵抗感があるんですが、そういう雰囲気が漂っているのは事実ですし、百合ホラーとして楽しんでいただいても構いません。
――3日間の調査期間中、彼岸荘では心霊現象が次々と起こります。ライトが勝手に点ったり、壁のレリーフが気味悪く歪んだりと、ホラーファンの心をくすぐる怪異描写が盛りだくさんです。
幽霊屋敷ものの魅力的な要素を、思う存分盛りこみました。でも正直ホラーを少し甘く見ていましたね。こんなに好きだから書けるだろうと思っていたんですが、いざ怖いシーンを書こうとすると難しい。たとえば壁に文字が浮かび上がるというシーンがあるんですが、どんな文字を選べば怖いと感じてもらえるのかなど、すごく迷いました。恐怖という形には正解がないからこそ、センスが問われるジャンルだと思います。
――冒頭から海外の怪奇小説のようなムードがあって、ぞくぞくさせられましたよ。
ホラー好きの方にそういっていただけるとほっとします。自分で書いてみて気づいたのは、ホラーの先輩作家の皆さんが使っているテクニックは、実際に有効なんだということですね。視点人物を子供にして不安感を高めるとか、五感をフルに使った描写でリアリティを出すとか。これまで楽しんできたホラー小説が、高度な技術の上に成り立っていることをあらためて実感しました。
非日常的な物語だからこそ、心理描写を丁寧に
――精神感応能力のためにいじめられた過去をもつ主婦・上原俊子、不安定な生活から抜けだそうとあがく自動書記能力者の青年・早川明。超能力者たちの抱えるさまざまな葛藤が、屋敷の中であぶり出されていきます。この心理描写も読みどころです。
幽霊屋敷はさまざまな過去が積み重なっている空間で、それが超能力者たちの抱えているトラウマや記憶と共鳴していくんです。非日常的な物語だからこそ、心理描写や人間ドラマは大切にしている部分ですね。どのキャラクターも気に入っていますが、個人的に応援したくなったのは明です。愚痴りながら人間くさくもがき、思うようにいかない現実から抜け出すきっかけを求めている彼のことを、「がんばれ!」と思いながら描いていました。
――やがてメンバーの一人が変死体となって発見され、屋敷を覆う恐怖と絶望はいよいよ高まっていきます。
閉ざされた屋敷で次々に発見される死体、まさにクローズドサークルものの王道ですよね。これは担当編集さんにいわれて気づいたんですが、『未成年儀式』というデビュー作もクローズドサークルもので、ホラーっぽい雰囲気のあるサスペンスで、少女たちの関係性の話だったんです。『double』はある意味、原点回帰の作品といえるかもしれません。何年経っても好きなものって変わらないんだな、とつくづく思いますね(笑)。
――ひなたたちに危機が迫る中、一連の事件の真相が解き明かされていきます。複数の手がかりから唯一の答えが導き出される展開は、まさに本格ミステリの醍醐味。ホラーとミステリの面白さがバランスよく共存しています。
クローズドサークルものをやるからには、きっちり本格ミステリとして成立させた方が、物語の完成度があがるだろうという確信がありました。彼岸荘で相次いで起きる怪異と、超能力者たちの特殊能力が、それぞれ謎解きに深く関わってくるので、整合性を取るのはなかなか大変でしたね。でも苦労しただけあって、ミステリ好きの方にも楽しんでもらえるものになったと思います。謎解きの面白さとクローズドサークルから抜け出す解放感を、同時に味わっていただければ嬉しいです。
――悲惨な事件が相次いで描かれますが、読後感は決して悪くありません。むしろ前向きで力強いメッセージを感じます。
読み終わった後、「ああ、面白かったな」とちょっと良い気分で、“お土産”を持って現実に帰ってこられるような作品を書きたいといつも考えています。あそこのお店に行けば美味しいパンが買えるよ、というような感じで、彩坂美月の小説を読めばこんな読後感が得られる、と読者に信頼してもらえる作家になることが目標ですね。実はあのラストシーンは予定になかったのですが、ひなたならきっとこういう行動を取るだろうと思いついて、執筆中に付け加えました。二人の絆があらためて浮かび上がるような、印象的なシーンになったと思います。
「キングが事故に遭った」と留守電に何件もメッセージが
――彩坂さんのホラー原体験を教えていただけますか。
小学生の頃から図書館や書店をめぐって本を乱読していたんですが、その中にポーやラヴクラフトの作品を子ども向けにリライトしたアンソロジーがあったんですよ。それを読んで、「世の中にはこんなに面白いものがあったのか」と夢中になりました。そこから非日常の世界を描いたホラーやミステリを手に取るようになって、江戸川乱歩の『孤島の鬼』で決定的なショックを受けました。あれが文学の毒に触れた最初の経験だったと思います。
わたしが10代の頃はちょうど、海外モダンホラー小説のブームがあって、翻訳ホラーが大量に書店に並んだんですよね。当時はネットもなかったのでムック本などを参考に、片っ端からそれらを読みあさりました。スティーヴン・キング、ディーン・クーンツ、ロバート・マキャモン、ダン・シモンズ、ジョナサン・キャロル。その頃から今まで、ずっとホラーが大好きで読み続けているという感じです。
――スティーヴン・キングが特にお好きとのことですが、ずばりキング作品の魅力とは?
ええーっと、それを語り出したら一晩あっても足りないんですけど(笑)、一番はストーリーテラーとしての才能でしょうか。キングは面白い物語を作る天才だと思います。しつこいほどの描写の積み重ねが、読者の想像力を喚起してくれて、どっぷりと気持ちよく物語に浸ることができる、安心して身を委ねられる作家ですよね。ただキングを読んでいて怖いと感じたことがあまりなくて、ホラーというより極上のエンターテインメントとして楽しんでいます。
――彩坂さんは大学時代、ワセダミステリクラブに所属されていたそうですが、ホラー好きであることは周囲にも知られていたんですか。
ミステリクラブといっても本格ミステリだけでなく、ハードボイルドやSF好きの人など色々いて、めいめい好きな本を楽しんでいるという自由な集まりでした。ただサークルの学年誌のタイトルを『スティーヴン・キングと愉快な仲間たち』にしようと提案したら、即座に却下されましたけど(笑)。
その頃、キングが交通事故に遭って入院するという大事件があって、うちの留守電には「キングが入院したけど大丈夫?」と何人もの友人からメッセージが吹き込まれていました。当時親しかった人たちは、今でもキングの新刊を見るとわたしを連想する、といっていますね(笑)。
――そんなにホラーやキングに思い入れがあったとは。ではこれからもぜひホラーを書き続けてください。
機会があればぜひ書きたいです。『double』はミステリ要素を絡めたこともあって、ホラーに100パーセント振り切ることができませんでした。将来的には恐怖をさらに突きつめた、純粋なホラー長編にもチャレンジしてみたいです。キングの『IT』やマキャモンの『少年時代』のような、少年少女の一夏の冒険を描いたホラーや、東北の集落を舞台に死者のよみがえりを扱ったホラーなど、書いてみたいアイデアはたくさんあります。
――ではあらためて、これから『double』を手にする読者にひと言お願いします。
幽霊屋敷で、しかもクローズドサークルものです。溢れんばかりのホラー愛とミステリ愛を注ぎ込みましたので、ぜひ読んでみてください。といっても一部のマニアだけに向けた作品ではなく、普段ホラーやミステリを読まない方々の入り口にもなれるようなエンターテインメントを目指しました。お気軽に手に取っていただけたら嬉しいです。