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ミステリーの父・江戸川乱歩、その遺伝子を伝える3冊

未完の作品を書き継いだ「乱歩殺人事件」

 江戸川乱歩にはファンの間でよく知られた未完の傑作がある。1933(昭和8)年から雑誌「新青年」に連載されるも、乱歩が執筆意欲を失い、わずか3回で中絶してしまった長編『悪霊』だ。美しき未亡人・姉崎曽恵子が、自宅で何者かに惨殺される。現場となった蔵は施錠されて出入りができない密室状況で、死体のそばには奇妙な図柄の描かれた紙片が落ちていた。後日、姉崎未亡人もメンバーだった心霊学会の集まりが心理学者・黒川博士の屋敷で開かれるが、霊媒の女性によって「又一人美しい人が死ぬ」と新たな殺人が予告される……。

 と、乱歩の原稿はここで終わっている。次々に繰り出される謎といい、怪しげで癖のある登場人物といい、読者の耳元で語りかけるようなテンションの高い文章といい、これぞ乱歩の真骨頂ともいうべき冒頭で、もし完結していたら『陰獣』や『孤島の鬼』と並ぶ代表作になっていたのは間違いない。それだけに未完であることがつくづく悔やまれる。

 芦辺拓・江戸川乱歩『乱歩殺人事件――「悪霊」ふたたび』(KADOKAWA)は乱歩のこの長編を現代本格ミステリーの実力派が書き継ぎ、残された謎をすべて解決してみせた話題作。幻の第2の殺人が〈迷宮パノラマ館〉といういかにも乱歩好みの舞台で、巧みな文体模写を駆使して書かれており、ファンにはここだけでも感涙ものだ。また本作は『悪霊』連載時の乱歩その人が登場し、作中で扱われている殺人事件をあらためて検討するという入れ子構造になっている。

 麻布の張ホテル(乱歩が実際に滞在したことで知られる)である人物と対峙した乱歩は、いったい誰が、どのように、何のために不可解な殺人を犯したのかという謎を一分の隙もなく解明するとともに、書簡体小説である「悪霊」に秘められたある企みをも明らかにする。この怒涛のごとき謎解きには、泉下の乱歩もきっと満足しているだろう。そのうえで『悪霊』はなぜ中絶したのか、なぜ乱歩は続きを書かなかったのか、という日本ミステリー史上の謎にも、ある魅力的な仮説を投げかけている。

 ミステリーならではの遊び心と先達へのオマージュを満載した、乱歩ファンへの最高のプレゼント。『悪霊』の解答編として、これを超えるものは当分の間現れないだろう。

乱歩と正史、二大巨匠の交友関係を描く

 長江俊和『時空に棄てられた女 乱歩と正史の幻影奇譚』(講談社)も、江戸川乱歩本人が登場するミステリー。乱歩は彼と並ぶ日本ミステリー界の巨星・横溝正史とともに、大学教授夫人殺害事件の迷宮に足を踏み入れることになる。

 都会をさまよい歩く語り手・井川和真はひどく困惑していた。彼の通学バッグからいつの間にか携帯や財布などの私物が消え、代わりに切断された女性の頭部と、原稿用紙の束が入っていたからだ。手がかりを求めて原稿を読み始める和真。どうやらそれは横溝正史が江戸川乱歩との交流について記したものらしい。

 本書も作中作を用いた構成で、突如現れた生首に戸惑う和真のパートと、1954(昭和29)年に探偵小説好きの大学教授夫人・鬼塚貴和子が、廃屋で首なし死体となって発見され、乱歩と正史がその事件に否応なく巻き込まれていくというパートが並行して語られる。後者のパートの読みどころは、ともにミステリー界の巨星と呼ばれた二人の濃密な関係だ。友人として、流行作家と編集者として、よきライバルとして同じ時代を生きた乱歩と正史。ときにすれ違うこともあった二人だが、彼らはミステリーという新興の文芸によって結ばれた無二の盟友だった。探偵小説さながらの奇怪な殺人事件を通して、その事実が示されていくドラマは感動的。伝記的事実をもとに、乱歩ファンにも正史ファンにも納得の物語を見せてくれる。

 一方で、和真の巻き込まれた事件にも、あっと驚く真相が用意されている。どんでん返しやトリッキーな構成を得意とする作者の手腕が発揮された、“時空を超える”ミステリー。2つのパートがどう関係するのか推理しながら、読み進めていただきたい。

乱歩の短編につながる怪しさ、エロティックさ

 宇能鴻一郎といえば、女性独白体を用いた官能小説で一世を風靡した昭和のベストセラー作家だ。しかし1962(昭和37)年「鯨神」で芥川賞を受賞してから本格的に官能小説に乗り出すまでの期間、特異な幻想的・耽美的短編を数多く書いていたことはあまり知られていない。『アルマジロの手 宇能鴻一郎傑作短編集』(新潮文庫)は、この時期の埋もれた作品にスポットを当てた1冊で、近年静かな宇能ブームを巻き起こした『姫君を喰う話』に次ぐ短編選集の第2弾だ。

 常々感じていることだが、宇能の作品には乱歩を彷彿とさせる要素が多々ある。五感を通じて世界を味わい尽くそうとする姿勢、風変わりなものへの好奇心、マゾヒズム的な感性。二人は言葉本来の意味での“猟奇”(奇妙なものを追い求めること)作家だった。

 もっとも乱歩が視覚・触覚を重んじるタイプの作家だったのに対し、宇能の世界では味覚がとにかく重視される。大食漢の男が悲しくも滑稽な最期を迎える「月と鮟鱇男」、鰻に執着する男の新婚旅行を描く「鰻池のナルシス」などがその代表だ。

 7編中、怪奇幻想小説に特に接近しているのは、ポーを思わせるメキシコ残酷奇譚の「アルマジロの手」と、姫君に懸想する化け狸の姿が哀れを誘う「心中狸」。後者は語り手が旅先の淡路島で、老人から土地に伝わる昔話を聞くという設定で、奇しくも乱歩の名作「押絵と旅する男」とよく似た作りになっている。

「人間椅子」や「お勢登場」「芋虫」などの怪しくエロティックな乱歩作品が好き方なら、きっと本書も気に入るはずだ。