還暦を幾つか過ぎて、なるほど老境とはこういうことなのだなと感じることが増えた。ふとした拍子に、あの世との境がぼんやりしてくる。お迎えが近いのか。戸惑いがないわけではない。だがそれは恐ろしいことでも不快なことでもなく、どこか肩の荷をおろすような、心地よさも少なからず含んでいるのだった。
本作は、還暦を超えた著者が、自身とおぼしき「くたびれた初老の男」の日々を郷里・新潟との往還のなかで描く。同じ年回りの人が読めば、思い当たるくだりがどの一編にもあるに違いない。現実と、幼少時からの記憶や幻影を自在に行き来させながら、生死のあわいをこのように書けるのはこの作家だからこそだろう。物語は、老境にして新たな始まりを予感させつつ結ばれる。作者の胸中でもあると読んだ。(福田宏樹)=朝日新聞2024年5月4日掲載