一筋縄でいかぬ人と人のあわいを描いてきた映画監督・作家は、エッセーの名手でもある。「Number」「文芸春秋」に2018年末から連載された足かけ5年分の人気コラムを一冊にまとめた。
大のスポーツ観戦好きらしく、ラグビー日本代表がアイルランドに勝った試合を生で見られず悔しがったり、勝利だけを求める我が身を省みたり。「絶対に自分と戦わない」、ゆるゆるランナーぶりもチャーミングだ。
と思えばウクライナ戦争や震災、芸術表現と差別の問題にふれる。女友達との夜更けの長電話や、認知症の親族との会話も。高校生から受けた自作への質問はこう受け止めた。なぜ不条理を詰め込み、世界を難しくするのか?と。
「日曜作家みたいな自分が偉そうに批評したくない」と謙遜するが、いつも自分自身と社会へ向ける鋭い批評の目を持ち合わせている。
連載期間の多くを占めたコロナ禍は、やはり特殊な経験だったと振り返る。ちょうど「すばらしき世界」を撮り終えた頃。次に何を書けばいいのか途方にくれた。同時に、開催をめぐり揺れた五輪で選手たちに罪はないのかが気になった。それはそのまま、映画作りだけにがむしゃらに没頭し、周囲の環境に無関心な自分への問いだった。
映画業界の労働条件やハラスメントを考える活動に加わったのは、そうした流れの中でのこと。「日本映画の貧しい現状を自虐自嘲するだけでは、若い人たちが続かない」
といって、率先して意思表明する訳でもないのは相変わらず。若い世代のように、この業界で傷ついたり怒ったりしてこなかったのはなぜか。「じっと観察している段階。頼りがいないと思います」
今はコロナ禍の下での長い長い仕込み期間を経て、次回作の台本を完成させたところだという。「戦後の東京」がテーマ。知らない時代を描くのは初めてのことになる。
本の題名にとったハコウマとは、撮影現場で使う調整用の踏み台。俳優から時に「要求が高い」と言われる監督は、次回もハコウマに乗り、「一球入魂」の旅に出る。(文・藤生京子 写真・関口聡)=朝日新聞2024年6月22日掲載