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「長い読書」書評 喜びも苦心も 迎えた豊穣の時

評者: 山内マリコ / 朝⽇新聞掲載:2024年06月29日
長い読書 著者:島田潤一郎 出版社:みすず書房 ジャンル:エッセー・随筆

ISBN: 9784622096986
発売⽇: 2024/04/18
サイズ: 19.4×3cm/208p

「長い読書」 [著]島田潤一郎

 読書。それはソフトクリームをぺろりと平らげるような、悦楽的な行為ではない。カップ入りのシャーベットをスプーンでカンカンほじくり、ほんのちょっぴりの取れ高を口に運ぶ行為に近い。冷たくて歯にしみる。酸っぱくて顔をしかめる。カップを持つ手もじんじんしてくる――。
 本にまつわる短いエッセーが並び、そのどれもに「文学」を感じる。文学のことを語っているからではなく、なにを書いても文学がじわりと滲(し)み出てくる境地というか。
 本を読む喜びだけでなく、読むのに苦心した思い出も率直に綴(つづ)られる。難解そうな古典をさらりと読む高校の同級生が、「心にはっきりとした染みとなって残った」というくだりがいい。それから、大学の文芸研究会のOBの話も。Iさんは証券会社で働き多忙を極めながら、昼休みの立ち食いそば屋でプルーストを読んだ。「いまも文学のことを考えることがぼくのよろこびだ」という彼の言葉が、著者の人生を決定づける。
 一九七六年生まれ。三十三歳のとき、たった一人で小さな出版社をはじめた。二〇〇九年のことだ。そこにたどり着くまでには苦しい時間を味わっている。長く、小説家になる夢を追いかけた。行けるところまで行ったが、なれなかった。
 その苦い挫折もまた、きっと「染み」になったことだろう。けれど、二十年余りの時間が過ぎ去り、味わった辛酸は豊穣(ほうじょう)の時を迎えている。人生の断片的なエピソードはいずれも、上質な短編小説のよう。CD、コンビニ、リブロ池袋。われらの九〇年代、就職氷河期世代の青春だ。
 あの頃、欲しくても手に入らなかった文体や、〝本当のこと〟を語るに足るなにかが、自然と湧き出て止(や)まず、文章に得も言われぬ滋味と哀感をにじませる。
 しみじみと、ああ、いま文学を読んでいるなぁという手応えがある。それはひたひたと静かに、読む人の心を満たす。
    ◇
しまだ・じゅんいちろう 1976年生まれ。出版社「夏葉社」をひとりで設立し、文学を中心とした出版活動を行う。