1. HOME
  2. 書評
  3. 「虚史のリズム」 今なお耳元で「ダダ」が鳴り続く 朝日新聞書評から

「虚史のリズム」 今なお耳元で「ダダ」が鳴り続く 朝日新聞書評から

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2024年09月21日
虚史のリズム 著者:奥泉 光 出版社:集英社 ジャンル:文芸作品

ISBN: 9784087718393
発売⽇: 2024/08/05
サイズ: 15.1×21.6cm/1104p

「虚史のリズム」 [著]奥泉光

 いち美術評論家が、敗戦直後の日本を舞台とした、総1100頁(ページ)におよぶ「超規格外ミステリー小説」を取り上げるのにはわけがある。なにげなく開いた版元のPR誌に本書の装丁家との対談が載っていて、作者みずから「小説とは散文による言葉のアート」と断言していたからだ。
 とはいえ小説は読むもの、アートは見るもの、と世の中的にはなっている。その点で本作をわかりやすく「見るもの(アート)」にしているのは、ところどころで顔を出す「da」という文字の配列だ。それも並大抵ではない。頁によって版面を乗っ取る勢いで「dadadadadadadadadadadadadadadadadadadadadadada」と「行軍」している。いったいこれはなんなのか。
 アートで「ダダ(DADA)」といえば20世紀初頭にヨーロッパで始まった前衛芸術運動「ダダイズム」と捉えるのが定番だ。ダダは第1次世界大戦で生じた灰塵(かいじん)のなかから姿をあらわし「虚無」に通じる。創始者トリスタン・ツァラいわく「ダダはなにも意味しない」。日本の「戦中」が通奏低音となる本作との相性はわるくない。さらにダダは進歩と発展から築かれてきた西洋・近代の歩みが破壊と殺戮(さつりく)によっていったん打ち止めとなった断面から生じた。ダダ以降の「歴史」は、どう取り繕っても砕け散った破片からなる歴史のゾンビ、つまりは「虚史」なのだ。そうなら、そこに構造はなく、あるのは「リズム」だけとなる。それこそが『虚史のリズム』をかたちづくる最小限の要素としての「da」なのだろう。
 先に「戦中」と書いたけれども、本作での戦中とは敗戦で区切られるものではない。少なくともそれ(戦中)はGHQによる占領下の日本ではずっと続いており、dadadadadadadadaと「戦後」にまで流れ込み、本作から容易に連想できる当時の国鉄総裁が轢死体(れきしたい)となって発見された下山事件をはじめとする怪事件にもdadadadadadadadaと鉄路を響かせ、「うつし世」「かくり世」を通じて、「昭和」と「令和」の歴史上の距離をdadadadadadadadaと無化し、たとえばオンライン通信の不具合にdadadadadadadadaと擬態して、いまなお私たちのほんの耳元でdadadadadadadadaと鳴り続けている。
 ところで小説の書評でいちばんの禁じ手はネタバレだろうが、本作にその心配はない。なぜなら、私たちにとっての「歴史(ネタ)」があらかじめ登場人物たちにとっての「虚史(バレ)」(逆も真)だから。意味不明だって? しいて言えばそれこそが本作の種明かし(ネタバレ)(卵〈タネ〉が先か鶏〈ネタ〉が先か)かもしれない。
    ◇
おくいずみ・ひかる 1956年生まれ。作家。『神器』で野間文芸賞、『東京自叙伝』で谷崎潤一郎賞。『グランド・ミステリー』『シューマンの指』『死神の棋譜』など。