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「ウィーン1938年 最後の日々」書評 ナチスの傷痕 終わらぬ「輪舞」

評者: 椹木野衣 / 朝⽇新聞掲載:2024年09月28日
ウィーン1938年 最後の日々 著者:高橋義彦 出版社:慶應義塾大学出版会 ジャンル:歴史

ISBN: 9784766429725
発売⽇: 2024/08/06
サイズ: 18.8×1.8cm/296p

「ウィーン1938年 最後の日々」 [著]高橋義彦

 現代美術(アート)の世界でウィーンが話題になることはあまりない。だが、現代美術かどうかを問わず、日本で美術に関心を持つものにとって、ウィーンは最重要の意味を持つ。「美術」という語そのものが、1873(明治6)年に日本政府がウィーンで開催された万博に初めて参加する際に翻訳語として作られたものだ。
 わたしはかねてウィーンに関心を持ち、訪ねてきた。が、そこで目にするのは、ヒトラーのナチス・ドイツによる「アンシュルス(オーストリア併合)」が残した傷痕でもあった。本書は、このアンシュルスの前後に、かつてヨーロッパで最大級を誇った芸術都市で、政治家や芸術家により、どのような「輪舞」(19世紀末ウィーンを代表する作家シュニッツラーによる戯曲)が繰り広げられたかを描き出したものである。
 精密な資料研究にもとづきながら、著者の筆致はそれこそ輪舞調で、専門書にありがちな味気なさはまったくない。ノーベル賞作家カネッティ、精神分析の祖フロイト、『論理哲学論考』のウィトゲンシュタインといった巨人はもちろん、かれらの周囲にいた数々のウィーンの人々が「友情・恋愛・敵対・師弟・家族」をめぐって、終わりの見えない「輪舞」を繰り広げる。オーストリアに生まれ、リンツを故郷として育ち、ウィーン造形芸術アカデミーの受験を二度にわたり失敗。「美術」家としての志を断ち政治家へと転身したヒトラーがその中心にいるのは言うまでもない。
 ほかにも、これらの「輪舞」を通じて、あのアンネ・フランクに死をもたらした責任者がアンシュルスの担い手で、のちにオランダ統治の責任者となるオーストリア人の政治家ザイス・インクヴァルトであったのを知った。本書をめぐる「輪舞」の舞台は、かつて自国に侵攻するヒトラーを「花と喝采と歌」で熱狂的に歓迎したオーストリアそのものの光と闇で強烈に縁取られている。
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たかはし・よしひこ 1983年生まれ。北海学園大准教授。著書に『カール・クラウスと危機のオーストリア』など。