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最相葉月「母の最終講義」 人生の後半期に想いを馳せて

 著者のデビュー三十周年にあたる今年、既刊を愛読する三十歳の編集者が、是非(ぜひ)とも新しいエッセイ集をと企画したそうだ。この逸話だけでもロングセラーを予感させる風格がある。

 実際、年明けから順調に版を重ね、反響を受けて『なんといふ空』(二〇〇一年)も復刊されたと聞き、「え、絶版だったの?」と逆に驚いた。学生時代、会社員時代、執筆に行き詰まるとき、私もよく参考に開いた本だ。ノンフィクションの大作で知られ、読売新聞「人生案内」欄の辛口回答はSNSでもしょっちゅうバズる、洞察鋭い作家が自身の内面を観察対象としたエッセイは、客観も主観も揺らぎない。

 新刊では、五十代で倒れて認知症が進み身体もどんどん不自由になる実母と過ごした日々、その総仕上げを「最終講義」と捉えている。娘として育てられた年数より親を介護した年数が長くなり、元気だった頃より母子の距離が近くなり、人として鍛えられた経験は「税金のかからない生前贈与」だと。しかし、十数年にわたり個別に綴(つづ)られたエピソードが一冊にまとめられた構成で、いわゆる介護本のつくりではない。

 カプセルホテルや自転車を駆使して取材旅行を重ね、大学で教え、被災地へ飛び、ゲリラサイン会で本を売り、手芸や風呂敷にハマり、父を母を猫を看取(みと)り、コロナ禍の葬儀をリモート中継し、リフォームした終(つい)の棲家(すみか)から、またすぐ転居して……。公私の現場を忙しく往(い)き来し、数多(あまた)の別離と向き合い、手放す行為を繰り返しながら、著者は未来へと歩を進めていく。

 端的かつ情景の浮かぶ文体に、時折(ときお)り混じるユーモラスな本音。終章「ありがとうさようなら」をめくる頃には、自然と己の人生後半期にも想(おも)いを馳(は)せている。本書もよく開き、長く読み返す本となりそうだ。

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 ミシマ社・1980円。1月刊。4刷1万部。「ケアの仕事に従事する人から、感想が多く届いている」と編集者。著書『絶対音感』は小学館ノンフィクション大賞、『星新一』は大佛次郎賞、講談社ノンフィクション賞などを受賞している。=朝日新聞2024年10月5日掲載