本書は東日本大震災のおよそ半年後に初版が刊行され、今日まで異例のロングセラーとなった哲学書である。といっても、その内実は世事を知り尽くした「哲学の先生」が、高所から人生をクールに語るものではない。著者はむしろ手負いの獣のような気迫を随所にのぞかせながら、ごく日常的な「暇と退屈」というテーマに、読者をときに根気よく、ときに竜巻的に巻き込んでゆく――それが哲学を生きることの証(あかし)であるかのように。
暇も退屈も、誰もが内なる「気分」として体験しているのに、その正体を語ろうとすると口ごもるしかない。このよく知っているようで実は何も知らない気分から、倫理的でしかも楽しい「生」を練り上げるために、著者は哲学をフル活用する。特に、ハイデッガーの退屈論やユクスキュルの環世界論の読解は、本書の白眉(はくび)と言えよう。視界不良の藪(やぶ)の中をかきわけながら、一つの環世界から別の環世界に移動するための生の技法――それが著者にとっての哲学なのだ。
してみると、本書とそれに続く『中動態の世界』が、とりわけ精神医療に大きな衝撃を与えたのも不思議ではない。気分に隷属し、単一の環世界に自己を閉じ込めることは、例外的な状態ではなく、むしろ人間の存在論的条件の一つの結果なのだ。著者はそれを「生きづらさ」のような標語で通訳する代わりに、人間がそれぞれの仕方で「傷跡だらけ」であることを前提に、一つ一つの具体的な問題に立ち向かうヒントを示そうとする。
本書は決して標準的な哲学解説書ではない。それは「人間の条件」そのものが、スマートな標準化を拒むからである。ゆえに、本書のゴールらしき地点には、新たな迷宮が広がるだろう。退屈を探究する本は、退屈ではあり得ないのだ。
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新潮文庫・990円。22年1月刊、28刷41万8千部。単行本は11年に朝日出版社、増補新版が15年に太田出版から刊行。担当編集者は「忙しいはずなのにどこか満たされない現代の消費社会において多くの人の共感を呼んでいる」。=朝日新聞2025年5月31日掲載
