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芥川賞・鈴木結生さん 3.11、福島にいた僕は、揺らぐ世界を小説で繋ぎとめようとした 小説家になりたい人が、芥川賞作家になった人に聞いてみた。(特別版)

鈴木結生さん=撮影・武藤奈緒美

聖書をきっかけに読書の沼へ

 昨年の林芙美子文学賞で佳作をとった鈴木結生さん。「人にはどれほどの本がいるか」と題されたその作品は、78歳の老人が集めた3万冊もの蔵書を19歳のバイトが整理するという物語。古今東西、数多の名著が引用され、「この小説にはどれほどの本がいったのか」と、当時22歳の鈴木さんの読書量に圧倒された。

 そして、デビュー後1作目にして芥川賞を受賞した『ゲーテはすべてを言った』は、出典不明のゲーテの名言を巡る物語。これまたゲーテ及びその周辺のありとあらゆる作品が引用される。鈴木さんはこれを書くために、ゲーテ全集を読破したという。どうしてそんなに本が好きなのだろう。

「きっかけは聖書です。我が家はプロテスタントの教会で、父が牧師をしています。プロテスタントはキリスト教の中でも聖書を軸とする宗派。うちの教会でも週に2回、聖書を読む会が開かれます。聖書は1日に1章ずつ読むと3年で読み終わると言われますが、小学2年生だった僕は1日に3章ずつ読んで1年で読み終わってやろう、と考えました。そこから読書そのものにハマり、ダンテの『神曲』を小学生で読み終えました」

 す、すごい小学生です。

「聖書ってじつはすごく小説的なんですよ。トーマス・マンの『ヨゼフとその兄弟たち』という長編小説は旧約聖書の創世記を基にしていますし、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』のフィリップ・K・ディックも聖書を愛読していて、その理由を、面白いからと答えています。僕が『神曲』を読んだのも、聖書に書かれた物語をもっと知りたい、という自然な興味の延長でした。読破したときは、自分でもちょっとかっこいいかも、と思いましたが(笑)」

 ネットやゲームの登場で若い人の読書離れが進んでいると聞きますが……。

「僕もゲームはしましたが、誰かに与えられた設定の中で駒を動かすことに不自由さを感じていました。小学1年生の時、クラスのみんながニンテンドーDSを持ち始めて、僕も欲しいと言ったら、父がホームセンターで板を2枚買ってきて、蝶番で合わせ、『はい、DSだよ』ってくれたんです。僕はその木製DSで自分の頭の中で作ったゲームをプレイしていました。それが本物のDSよりずっと自由で楽しくて。空想が最も自由だ、というのは今も感じていることです」

子どもの時から使っている聖書。「結生という僕の名前も、聖書の一節からとられています。神の教えをだれでも唱えられるように、聖書はどんな簡単な漢字にもルビがふられているんですよ」=撮影・武藤奈緒美

あの日、世界が崩れ落ちた

「プロテスタントでは聖書に世界のすべてが書かれていると考えます。そんなすごいものがこんなに小さな『本』という物体に収まり、どこへでも携えられることにすごくフェティシズムを感じます。本の優れているところは持ち運べることだと思います」

 それを強く感じたのが、2011年に起きた東日本大震災。その時、鈴木さんは10歳だった。

「当時福島に住んでいた僕は、原発事故で避難生活を余儀なくされました。避難所では電気を使えない。ゲームも携帯もダメ。唯一いつでも取り出せて遊べる娯楽は本だけだったんです」

 小学6年生の時、福岡県へ移住。まもなく小説を書き始めた。

「それまで神の愛のもと、安心して暮らしていた僕は、あの3.11で世界が滅んでしまう恐怖に直面しました。じつはこの世界が不安定だということを突きつけられたのです。聖書は世界を秩序立てようと書かれたものです。僕も小説を書くことで世界をなんとか繋ぎとめようとしました」

 それから毎年のように500枚超えの長編を書き上げた。そのうちの一つを中学2年生の時、すばる文学賞へ応募。

「1次通過もできませんでした。規定枚数もろくに確認せず送り付けたので、落ちて当たり前なのですが、当時は自分の書いたものが受け取られなかった、ということがすごくショックでした。自己防衛で、誰にも読まれなくていい、読めないようなもっと難しいものを書いてやれと、どんどん難解でクローズドなものを書くようになりました」

 同時に、小説がダメなら、他の方法で思いを届けようと、絵を描いたり音楽を作ったりするようになった。

「高校時代は1日1曲作ることを自分に課して、CDを作っては友達に配っていました。小説は長いから読んでもらえないけど、曲なら5分じゃないですか。同じ考えで、大学入学後は文学をテーマにしたペラ1枚のパンフレットを作って、図書館に置かせてもらいました。絵も自分で描いて、デザインも興味を惹くように工夫し、小さな記事のために3日もデータ収集したりして……。だけどある日、図書館側から『内容が難しすぎるから、もうやめてください』って言われちゃったんです。そこで、他の道に逃げてちゃダメだ、小説で読まれるものを書かなくては、と考えを切り替えました」

中学生の時に書き、父が製本したという「The Innocent Times」。「この時ミスチルにハマってたんです。あとがきにはこうあります。『この作品の最も大きなメタファーは聖書である。この作品には、聖書における神の愛を比喩的に記したつもりだ。中学生という発展途上の中で、かなり上手に書けたと思う。』…… 自分で言っちゃってますね(笑)」=撮影・武藤奈緒美

「読まれる小説」を目指して

 大学3年の時、夏目漱石の作品の続きを書くというコンテストに応募し、グランプリをとる。落選のトラウマを克服した大学4年の夏休み、一番締め切りが近かった林芙美子文学賞へ応募した。

「最終選考の結果が出る日、両親と彼女と、結果がどっちになってもお疲れさま会をやろうと行きつけのイタリアンを予約したんです。その時間までオーディブルで林芙美子の『放浪記』を聴きながら、福岡の街を放浪していました。でも電話は鳴らなくて。一度帰宅し、レストランへ向かおうとした車の中で連絡が来ました」

 大賞ではなく佳作での受賞と聞いて、どう感じましたか。

「佳作は『小説TRIPPER』に掲載されないと思い込んでて、がっかりしました。自分にとって本になるということが重要だったので。沈んだ声の僕に編集の方が『あの、すごいことですよ……? デビューってことなんですよ?』ってフォローしてくださって(笑)。その後、ちゃんと掲載されることもわかり、無事お祝いムードでイタリアンを味わえました」

 そのイタリアンレストランってまさか『ゲーテはすべてを言った』の……?

「あ、そうなんです。統一が銀婚式で行ったレストランのモデルです。実際、名言が書かれたタグがついているのは、紅茶じゃなくてミントティーのティーバッグなんですけどね」

 素敵なめぐり合わせ! なぜ林芙美子文学賞を受賞できたと思いますか。

「ちゃんと応募規定を読んで、規定枚数を守り、読んでもらえるように研究を重ねたからかな。大学で日本文学を読み込んだのもよかったと思います。それまでは聖書や世界文学を基にしていて、日本語での表現を追求してこなかった。漱石、丸谷才一、大江健三郎、この3人の文体のミックスを目指しました。

 僕は、自分の書く内容が学術的すぎてとっつきにくい、という自覚はあるんです。それでも読んでもらうためにいちばん心掛けたのがリズム。選評で一番嬉しかったのは、川上未映子さんが、リズムが巧み、耳によい、と言ってくださったことです」

「芥川賞の待ち会には、同じく林芙美子文学賞を獲った朝比奈秋さんと大原鉄平さんが駆けつけてくれました。朝比奈さんが『僕の時はこのくらいの時間に電話が来た』と言ったところで、電話が鳴って一同騒然。みんなの歓声で電話の声が聴こえず、慌てて部屋の外へ出ました。あの時、いちばん冷静だったのはたぶん僕です(笑)」=撮影・武藤奈緒美

章ごとに文字色を変え、「色彩論」を検証

 そして、2作目の『ゲーテはすべてを言った』で芥川賞を受賞。着想は数年前、両親の結婚記念日のお祝いで例のイタリアンレストランに行き、父のミントティーのタグにゲーテの名言が載っていたこと。

「これってどういう意味? と父に聞かれて、わかんないって答えたんです。それがずっと自分の頭の中に残っていて、これは小説になるな、と。だけど、それを書くためにはゲーテ全書を読まないといけないのがわかっていた。林芙美子賞を頂いたことでやっと取り組む気になれたんです」

 実際のタグに書かれていたのはどんな名言だったんですか?

「それが覚えてないんですよ。まさかこんなことになるとは思わないから、父もタグを紛失していて。芥川賞候補になってから、同じミントティーを買って、毎日家族総出で飲んで、同じタグを見つけようとしたんですが、結局出ませんでした」

 それは見つからないままのほうがロマンティックですね。どうやって書き進めましたか。

「かなり試行錯誤しました。たとえば、丸谷才一の『樹影譚』をまるまる書き写してみたり。彼の文体の音楽的なモードを憑依させるのが狙いでしたが、それよりも、違う人の物語を自分の中で反復することで小説の起動方法がわかったように思います。

 章ごとに文字の色を赤や緑に変えて、文体に影響がでるかの実験もしました。今作はゲーテの『色彩論』を下敷きにしているのですが、彼は、色は雰囲気を作る、と言っているんです。たしかにその通りで、オレンジ色で書いた文章はオレンジっぽいムードになって面白かったです」

「左は父が林芙美子賞のお祝いに作ってくれた『人にはどれほどの~』に登場する風見鶏つきUSB。右は『ゲーテはすべてを~』の束見本に父が描いてくれた僕とゲーテ」=撮影・武藤奈緒美

神の愛があるから、承認欲求はない

 今作は「言葉は誰のものであるか」というのもテーマのひとつだと感じました。鈴木さんの小説も、膨大な他人の言葉を読み込んだうえで書かれているわけですが、「著者性」についてどう考えていますか。

「僕の一番好きな作家・ボルヘスは『言語システムは引用であって、全ての書物は同じ作者に記される』という趣旨のことを言っています。僕も同じように感じていて、自分がこの作品を書いた、というよりは、文学の壮大なプロジェクトの中でこういうテクストができた、という感覚です」

 ちょっと待ってください。もしかして鈴木さんは承認欲求がないんですか? これは俺が書いたすげえ作品だぜ!って。

「ちょっと宗教的な話になるけれど、神に愛されているという前提があるので、僕は自我に関しては悩みや迷いはあまりないんです。ただ、本を書くことで世界を秩序立て、安心を得ようとしている点でみれば、『世界から承認されるために小説を書いている』とも言えるかもしれませんね」

 じゃあ、「芥川賞獲った俺ってすごい!」みたいな感情もゼロ?

「そうですね(笑)。でも、受賞は嬉しかったですよ。愛を感じて。今度、福島でサイン会があるのですが、僕のいた仮設住宅でリーダー的役割を務めていた方が来てくれるそうで、本当に感激しています」

左から順に、読書のはじまりである聖書、世界への不安をぶつけた中高時代の長編、世間に向けて作った音楽やパンフレット、辿り着いた受賞。「こうして並べてみると、今までのすべてが必要だったことがわかります」=撮影・武藤奈緒美

福島を書かなかった理由

 振り返ってみて、なぜ『ゲーテはすべてを言った』は芥川賞を獲れたと思いますか。

「時の利もあると思います。こういう作品が最近なかった中で新鮮に受け止めていただけたのかな。真面目に資料を読み込みながら書きましたが、それよりも先に文学への愛が立っていたのも大きかったと思います」

 小説家になりたい人へアドバイスするとしたら。

「自分と引き離して書くこと、でしょうか。それと、僕にとっての漱石や丸谷といった、小説の父的存在を見つけて徹底的に読み込み、なおかつ、それを超えようとするといいかもしれません」

 鈴木さんにとって、「芥川賞作家になる」とは。

「最初はうがった見方もしていたんです。芥川賞作家だからって評価されるのはどうなんだ?って。でも、獲ってみると世界がどんどん広がっていく感じがあって。憧れの人が自分の作品を読んでくれたり。取材もしやすくなりそうですよね。小説がいい意味で今までとちょっと違う方向へ向かえる予感がします」

 今後の予定は?

「来年、大学院を卒業する身なので、今まさに選択が迫っています。元々は大学の先生になろうと思っていたのですが、事実を積み重ねて結論を出すことよりも、結論を想像してその間の物語を空想するのが好きだから向いてない気がして。芥川賞をとったことで、小説を書いて生きる選択肢もできたことは嬉しいです」

 ひとつ、どうしてもわからないことがあって。福島での被災から小説を書き始めた鈴木さんが、今作でも前作でも福島を書かなかったのはなぜですか。

「鋭い質問です。じつは林芙美子賞を獲る前はずっと福島を題材に書いてきたんです。けれどそれがうまく小説にならなかった。時間的距離がまだ取れてないんでしょうね。福島を書かなかった2作が評価を受けたことから痛感しました。人間的成長ももっと必要だと思います」

 それでも、と鈴木さんは言った。

「やっぱり福島が僕の原風景なので、いつか必ず書きたいです」